レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

ブログの取り持つ縁?

2014-03-14 05:00:00 | 日記
この「レイキャビク西街ひとり日誌」を始めてから約一年半が経ちました。始めた当時、ネットで渡瀬恒彦さんの「タクシードライバーの推理日誌」シリーズを見まくっていたので、「ひとり日誌」ともじってみたわけです。

もともとこのブログを始めた理由は、日本にいる知人でアイスランドに来たことがない人たちにアイスランドでの生活を伝えたり、交換留学等でこちらに来ていた人たちに最近の様子を知らせることでした。

というわけでマイナー路線は前提条件のようなものでしたし、実際今でもマイナーブログのままです。(^-^;

ところがありがたいことに「アイスランドが好き」「関心がある」という奇特な方々も覗いてくれるようになりまして、今では毎日(毎回ではなくて)百五十人くらいの方が訪ねてくださいます。ありがたいことです。m(_ _)m

さてそれらの方々の中には「これからアイスランドへ行く予定がある」という人もいらっしゃいます。そういう方々が時々コメントやメイルで連絡してくれることがあります。挨拶の交換をしたり多少の情報収集を求められるのが大方の場合です。情報の提供はできる範囲に限られてしまいますが、多少なりともお役に立てるなら幸い。

で、挨拶や必要な情報提供だけで終わることもありますが、実際にこちらでお目にかかる機会をいただくこともあります。さらに加えると実際にはお目にかかれなくとも、ガイドをしている邦人の方から「今回のグループに中にトーマさんのブログ読んでる人がいましたよ」とか伺うこともあります。

メジャーなブロガーならそんなこと日常茶飯事でしょうが、マイナーブログの担当者としてはそれだけでも嬉しくなります。

こんなこともありました。

昨秋、日本からのカップルでこちらのハットゥルグリムス教会Hallgrimskirkjaで挙式をされた方がありました。年に二三回、日本からのカップルの方の結婚式を担当します。「どうしてわざわざアイスランドで?」と毎回お尋ねします。するとその時の方は「前からアイスランドで式を挙げられたらと思っていました。そこへたまたまトーマさんのブログを見つけまして...」これもとても嬉しい「出会い」でした。

始めから「ブログ読んでます。できればお会いできますか?」というパターンももちろんあります。昨夏には日本からの新婚さんが、もともとクリスチャンなのでこちらに滞在中に教会の礼拝に出席したいということでしたので、ご一緒させていただいて半日を過ごしました。とても楽しい体験でした。

また、つい先日はカナダでワーキングホリデーで一年を過ごした女子大生が、帰国前にアイスランドを体験したいということで連絡を取ってくれました。短い滞在でしたので、最終日にお昼を一緒に食べてお話ししました。どうしてカナダへ行ったのか?どんな体験をしたか?などを私のアイスランドでの体験と交換しながら、これも楽しい時間を頂きました。

何が楽しいのだろうか?と考えてみたのですが、やはりこれだけ多勢の人がひしめき合っている世界の中で、全くつながりのなかったはずの人とマイナーブログという非常に細い糸が取り持つ縁で、ある日ある時をともに過ごして知り合いになれる、ということだろうと思います。

普通の人が一生で知り合う人の数というのはどのくらいなんでしょうかね?見当がつきませんが、どんなに多くの人と知り合う人でも世界の(あるいは日本に限っても)人口に比したらゼロ%に近いものではないでしょうか?

今年の二月時点での日本の推定人口が一億二千七百千八百万人。そのうち0.1%の人と知り合うには十二万八千人弱と「お知り合い」の必要があります。これって実際的な数なんでしょうか?

こうしてみると一生のうちで「知り合えた」と実感できる人は本当に天からの贈り物として受け取らないとバチが当たるのではないでしょうか?もちろんその中の幾ばくかは「知り合わない方が良かった...」という類のものであるでしょうが。それはそれで人生の現実ですね。

「ブログの取り持つ縁」というものがあるとして、それは仕事や特定の利害関係を基礎にする縁ではありませんね。「趣味」よりもさらに曖昧なベースかもしれません。だから年齢や主義主張に関係なく人と出会えるのかもしれません。

私がブログの故に知り合えた人の共通点はただひとつで「アイスランドに関心がある」という人たちでした。そういう皆さんとお知り合いになれるのは嬉しいことです。機会が与えられるなら是非お知り合いになりたいものです。
これからいらっしゃる皆さん、どうぞよろしく。(*^^*)


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Prayer for Japan

2014-03-11 05:00:00 | 日記
今日で東北地方太平洋沖地震から三年が経過しましたね。

災害により亡くなられた多くの方々のことを偲び、改めて心よりの哀悼の想いを捧げさせていただきます。

またご家族やお知り合い、友人を亡くされた方々、お家を無くされた方や住んでいた場所を離れなければならない等、直接・間接に被害に合われた皆さんにもお見舞いを申しあげます。

復興が進んでいる地域や分野と、なかなか進まない地域、分野があることと理解していますが、全ての面における可能な限りの復興が滞り無く実現しますよう祈ります。




震災直後の支援の集いでの「願いの木」


また世界中でなされた支援活動の中にあって、規模としては小さなものであったこととは思いますが、アイスランドの皆さんも暖かく力強い援助と連帯の姿勢を、被災者の方々と日本人に対して示してくれました。

邦人のひとりとして今一度心よりの感謝をしたいと思います。

アイスランド発ガンバレNippon!




日本からの交換留学生の皆さんが
市庁舎前で主催した一周年追悼会


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイスランド・日本 シンポジウム 完結編

2014-03-09 05:00:00 | 日記
先月の二十五日にアイスランド大学で開催された「アイスランド・日本 シンポジウム」の完結編です。

前にも書きましたように、このシンポジウムはアイスランド留学の経験がある四人の日本の大学院生が自主的なイニシアティブを取って企画運営されました。

今回はその四人組のプレゼンテーションの中で最後に残っていたA子さんの発表を元ネタにして書いてみたいと思います。

A子さんの扱ったトピックは「バイリンガルの言葉に関する自意識」と言うようなものでした。ここでは主に英語・日本語のバイリンガルの人についてのリサーチを基にした考察でした。

実はA子さん自身もバイリンガルで、英語を母国語のように操ります。そして現在も東京のあるインターナショナル・スクールで教えていますので、まさしくバイリンガル関係はライフワークなんだろうな、という感があります。

A子さんは以前自身が行ったリサーチからふたり分のサンプルを紹介してくれました。ひとりは二十八歳の女性(花子さんとしましょう)で両親とも日本人で日本育ちなのですが、インターナショナル・スクールで英語を学んだ方。もうひとりはやはり二十八歳の男性(太郎さんとしましょう)でこれも両親とも日本人ですが、現在は米国に住んでいる方。

花子さんは自分の言葉に関して「日本語が母国語。英語はツール」という考えを持っているのだそうです。が、周囲から見る目は本人の意識とは少しズレがあります。英語が優れている分、花子さんは多少日本語でミスをすることがあるそうです。そうすると周囲の目は「英語は素晴らしい。でも日本語が劣る」というものになってしまうのだそうです。

それに対して米国在住の太郎さんに関しては「アメリカに住んでいるにも関わらず素晴らしい日本語をしゃべる」という評価になるのだそうです。おふたりの日本語力と英語力は同等と理解しましたので、いかに第三者が当人の能力ではなく、自分たちが納得するような評価を導き出すかが示されていると思います。

実はこのギャップ、深刻なアイデンティティ・クライシスにまで発展することもあります。いわゆる「ハーフ」の人や移民の第二世代などはバイリンガルなことが多いわけですが、ふたつの言語を甲乙つけがたくネイティブ並みに取得することはそう容易くはありません。

バイリンガル教育の苦労話しブログはこちら


A子さんのレクチャーでもバイリンガルを代表するふたつのタイプは「バランス良いバイリンガル」と「一方が優越的なバイリンガル」なのだそうです。まあ普通に考えれば「一方が優越的なバイリンガル」というのが多いのだろうな、という感じはしますよね。

私の子供たちふたりもバイリンガルですが、やはりアイスランド語の方が勝っていると思います。(日本語は漢字の読み書きという壁がかなり高いです)

私の見てきた範囲では母国語の能力とその国に帰属する意識とはかなり強く結びついています。ですがもちろん外国暮らしで母国語の能力がそこそこくらいであっても帰属意識は強く持っていることだってあります。

それなのに周囲から例えば「日本人なんだったら日本語をちゃんと話しなさい」的な要求を突きつけられ、結果「あなたは日本人度が低いですね」みたいな評価を受ける人も実際に多くいるのです。

A子さんの示してくれたバイリンガルのパターンの中には「双方の言葉が不完全」というものもありました。残念ながらこのパターンの例もアイスランドには存在しています。それはまた機会を改めて書いてみたいと思います。

A子さんのプレゼンテーションでは触れられませんでしたが、話す言葉によって性格が変わることもあるような気がします。神学校時代の同級生に英語がものすごく達者な人がいましたが、彼が「英語で話していると性格が変わるのが分かる」と言っていました。英語の場合にはジェスチャーが大きくなって普段より積極的になる、というようなことだったと思います。

このA子さんも普段はどちらかというとシャイであまり前に出てくるタイプには見えないのですが、英語でのシンポジウムの最中はがらりと変わって「できる女性」に変身していた気がします。いや、「変身」というのは偏見だな。どちらも本当のA子さんなのでしょう。

さてアイスランド・日本 シンポジウムですが、この一回で終わりにしようとわけではなく、二回目、三回目と続けたい、というのが四人組の希望のようです。しかもアイスランド、日本と開催地を相互にしたいとか。それを実現するには後に続く人が必要となるでしょう。

是非ともこのような、単なる趣味の延長でない「相互関係」が日本とアイスランドの若い世代の間で盛んになって欲しいものです。


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あわただしい一週間

2014-03-06 05:00:00 | 日記
昨日の水曜日からアイスランドの教会の暦では「ファスタ」と呼ばれる「受難節」に入りました。復活祭(今年は四月二十日)までの四十六日間の期間のことをいいます。受難節は四旬節とも呼ばれます。四旬節は本来は四十日間を意味するのですが、教会では日曜日を含まずに数えるので実際は四十六日分になってしまうわけです。

この受難節というのはキリストの十字架への道行きを偲ぶ期間ですので、どちらかというと沈痛な重い期間になります(少なくともそのように期待されています)。そこから受難節中は肉食を断つとか、はしゃいだイベントをしないとかのいろいろな習慣が昔より生まれてきました。

そしてそのようなつまらない?受難節に入る直前の週三日間-つまり今週の前半ですが- には最後のあがきで楽しく過ごそう、というカウンターアクション的な習慣が、これも昔日より培われてきました。

例えば今週の月曜日は「ボル・ダーグル」という老若男女がそろってシュークリーム的なお菓子を食べる日でしたし、火曜日は「スプレンギ・ダーグル」という塩漬け肉や豆をお腹が破裂(スプレンギャ)するくらい食べる日でした。

さらに受難節初日である水曜日は「灰の日」または「オスク・ダーグル」と呼ばれる日で、これは灰をかぶって受難節を向かえる、というもともと厳粛な日なのです。昔のユダヤ今日の習慣で、人は嘆き悲しむ時などに灰を頭からかぶったことに由来しています。

ところがなぜかアイスランドでは、この日は子供たちが妙な衣装で仮装をし、歌を歌いながら近所を回ってお菓子をもらう、というミニ・ハロウィーンと化してしまっているのです。調べたところ、これはどうもカーニバルの遺産のようです。

受難節の始まりとして「灰の日」に特別な礼拝式を行う教会も世界には多くありますが、なぜかここアイスランドではあまり重きが置かれていません。次の日曜からが本当の受難節、という思いの方が強いようです。

これらの日の由来については昨年書いていますので、関心がある方はそちらも参照してみてください。

ボル・ダーグルはこちら

スプレンギ・ダーグルはこちら

オスク・ダーグルはこちら



というわけで、スペシャル・イベントが三日続くこの一週間はやはりせわしないというか、慌ただしい雰囲気の週となってしまいます。とりわけ家庭に小さな子供さんのいるところでは、シュークリームを食べないわけにはいきませんし、子供の仮装の衣装の準備も必須ですのでせわしなさも避けようがありません。

子供が大きくなってしまえば仮装だの衣装だのは縁が遠くなりますし、シュークリームや塩漬けの肉も別に無理をして食べる必要はありませんので、「あれ?今日はボル・ダーグルだったのか」などとうっかりする人もあるかもしれません。私自身のところではどうだったかといいますと、火曜、水曜は極めて平穏でしたが、一番初めの「ボル・ダーグル」だけは多少走り回ることになりました。




年一回の楽しみ、マイ・シューたち


このアイスランド的シュークリーム、いろいろなバラエティがあっておいしいのです。シュー皮も日本のシュークリームのようなものと、デンマーク風の何というか少しドーナツのような感触のものと二種類あり、かつ中のクリームにもバニラやラズベリー、ブルーベリーなどのように種類があります。

加えてトッピングがチョコレート、ストロベリー・チョコ、キャラメルのコーティングだったり、その他何と称するのか知りませんがプチプチ・チョコやシュガーパウダーがまぶしてあるものもあります。

要するにワタシはこのシュークリームが食べたいのです。普段はほとんど甘いものには関心がないのですが(アイスクリームは例外)、一年に一度この時期だけは食べます。大量に。大事なことを付け加えておきます。アイスランドではこの時期以外はシュークリームは売っていません...

ここ数年は「ボル・ダーグル」に先立つ土曜、日曜にもスーパーやベーカリーではシュークリームを売り始めています。こういうのを「嬉しい抜け駆け」といいます。v(^^)/ 

ワタシはまず土曜日に娘とパン屋さんへ行き、シュークリーム十個をゲットしました。子供たちがみっつ食べましたが(ケチ?娘はダイエット中なんです)、残りはワタシ専用。週末から月曜にかけてゆっくり食べるつもりでした。

すると娘が「そんなに日持ちしないよ」
「大丈夫だよ、三日くらい」
「ネットにケーキ屋さんでバイトしてた人が書いてる。カスタードはすぐいたむので消費期限は当日のみ、だって」

ええい! 余計なことを書く奴がいる。それにここのシューはカスタードを使ってないから大丈夫だ。と、自分的には納得しましたが、考え直して作戦を変更。土曜、日曜で自分用の七個を消費しました。月曜の本番日にもう一回買いに行けばいいのだ。

ということで月曜日の午前中に仕事を抜け出したのですが、同じパン屋さんに行くのは恥ずかしかったので、隣りのスーパーへ。ところが例年特売場を出すそのスーパー、今年はなぜかやる気なく申し訳程度にしかシュークリームはありません。

そこで慌ててスーパー2へ。そこにはあることはありましたが、ちょっとクオリティが下がるものばかり。やはりパン屋か、ということで再びカローラを駆って同じパン屋さんへ。ようやく新たに八つのシューちゃんを確保したのでした。

邦人の女性の皆さんの中には自分で皮を焼いてクリームを仕込む方も大勢います。ちゃんとFacebookで写真もアップしてたりしてさすがです。でも、誰もワタシに分けてくれません... まあ、姪から申し出はありましたが、チョト遅かった。

受難節に入る一週間は、かくて己の中の物欲、食欲、所有欲とせこさを痛感する時となったのでした...


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイスランド・日本 シンポジウム 続編

2014-03-03 05:00:00 | 日記
二月二十五日にアイスランド大学で開催された「アイスランド・日本 シンポジウム」の続きです。学生主体のシンポジウムで、日本からは昨春までこちらに留学していた四人の日本人大学院生が中心となって企画運営されました。

それぞれの専攻が違いますので、当然のことながらひとつのテーマを巡ってのシンポジウムではなく、トピックは様々なものになりました。「アイスランドと日本の類似性と違い」のようなものがざっくりとしたテーマだったといえます。それがむしろ良い意味での多様性になって面白かったと思います。

さて三人目はオタクのようなオーラを発しているけど実は熱血塾教師もしているY君です。彼の専攻は北欧語で、その中でも特にスウェーデン語とアイスランド語のようです。

彼の選んだテーマは北欧語に共通して見られる「クンナ」Kunnaという言葉の用法でした。これは平たく言ってしまうと英語のCanと同じで「―できる」という話法の助動詞です。

で、スェーデン語、ノルウェー語またはデンマーク語ではこのkunnaはほとんど英語のcanと同じように使われます。Kunnaには直後に本動詞の不定形が続き「することができる」「見れる」のように可能の意味を与えるわけです。

ところがです。なぜかアイスランド語ではこのkuuna君の用法は非常に限られており、「英語ができる」「車の修理ができる」のように学んで習得した知識や技能を使って「何かをすることができる」という意味合いに限られています。また後続する本動詞も不定形ではなく、不定詞(つまり英語のtoに当たるad付き)になります。

その他一般の意味での可能を示す場合にはアイスランド語では「ゲータ」Getaという言葉を用います。この言葉はですから年がら年中でてきます。このgetaの特徴は本動詞の不定形ではなくて完了形が続くことです。ですから不規則動詞の場合などはきちんとその完了形を覚えていなくてはならず、これはかなり面倒くさいことがあります。

Y君が示してくれた用例では例えば「ヨウンは車の運転ができる(kunna)が、今は足を怪我しているのでできない(geta ekki: ekki=not)」というようなものがありました。これは分かりやすい例文ですよね。やり方は習得している(kunna)のだが、今は事実としてでき(geta)ない、ということです。

これ、ワタシ的にはとても面白いトピックでした。アイスランド語は北欧語の原型を一番そのままの形で残している言語です。スェーデン語やデンマーク語はそこからどんどん現代的な形へ発展していっています。

ですから、getaという言葉ももともと北欧語の中に存在したのだろうと思うのですが(ただ確証はありません)、それではスウェーデン語やノルウェー語ではgetaはどこへ行ってしまったのでしょうか?それになんでgetaは後ろに完了形を伴うという面倒くさい道を選んだのでしょうか?

ウーン、答えが分かっても大勢には影響ないのですがなんか気になる。熱血Y君がY教授になる頃までにはきっと答えを見つけてくれていることだろうと期待しています。(自分で調べろ!...か?(^-^; )

Y君の発表を聴いていて思ったのですが、彼はわざわざ日本からやって来てアイスランド語の勉強をしていました。帰国してからもまだしています。おそらくY君にとってはアイスランド滞在中の日々は非常に貴重なものだったのでしょう。研究の素材が限りなくあるわけですから。

それに比べるとこちらに在留組の私たちはどうも学習の機会をむざむざと見逃しているというか、敬遠しているというか...毎日接している言葉について日本からのゲストに教えてもらうのはチョト カッコワリー!かな?(恥)

オタクだの熱血塾教師だのいろいろ書きましたが、Y君気を悪くしないでください。m(_ _)m 何年か後にはちゃんと「先生」と呼ばせていただきますので。しっかりと研究を続けられることを願っていますよ。

最後のひとりはバイリンガルの意識について扱ったA子さんなのですが、これも関心のあるトピックだったので、続けて書くと長くなり過ぎそうです。次々回に改めて書かせていただきたいと思います。よろしく。


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする