トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

闘魂注入、角を矯めて牛を殺す「花豆の甘納豆」

2021-02-25 | 何よりの楽しみ
 己等、究極のスローフードになった。なにせ水浸を開始してから指折り数えると片手では足りなかったのだ。それと言うのも懇切丁寧、失敗あるまじき、と念には念を入れて調理したためである。他のスローフードには猪肉をソミュール液に漬け風乾し熱燻し熟成し終わるまでの一週間があげられるが、大半は付きっ切りなどしなくても良い。
 同様に時間経過が必要な「味噌酒粕漬け」も一週間か10日程度漬け込むけれど、これも取り出すまでは手出し無用の代物である。然るに今回の花豆はお世話をし、お守りをしての日々だったからベストスリーの中でも横綱であった。とは言え、この頃は横綱の権威も風格も品格もあったものではなくなって「国技」というにはいささか侘しくなってしまった。
 さて、巷の作り方より更にスローフード化させてしまった、何故そうなったか記してみるけれど結果としては初めてにしては大成功と言うべきなので爺我自賛、してやったりで、とは言え「次も作るか?」と問われれば返答に窮する。

 調理の最初はネットで作り方のプリントだ。前回、花豆の煮豆を作る時に閲覧していたものの初めての調理なので手元にプリントを置いた。水浸は概ね一晩一日程度だったけれど小生は二日二晩の倍を費やす。1日程度の水浸では不十分と感じていたからで、レシピ通りに調理している人たちは満足できたのかどうかは知らん。他人様に提供するものではなく我が身の楽しみである事から選択は自由なのだ。

 水浸が終わり次の工程はアク取りである。ここはレシピ通り3回実施。沸騰撹拌させないようにギリギリまで加熱して茹でこぼし、これを繰り返す。浸した湯は黒く濁るけれど3回で澄む訳もなく「限が無いなあ」が実感。アク取りの後は圧力鍋で加熱したが、これは外皮を軟化させたいために行った。単に煮ただけの煮豆の時は外皮の固さが気になったのだ。今回は曲がりなりにも「スイーツ」のつもりなので蛇足の一手である。まあ、ここでも調理上手の先輩、次姉の助言が生きたと言えよう。つまりは「急いではいけない。丁寧に煮る事。そうしないと割れが増えるから。」を実践したのだった。

 引き続いて砂糖を三回に分けて煮溶かす。豆が隠れる程度の煮汁しか無いので付きっ切りである。焦げ付かないように頻繁に鍋を傾け煮汁を回す。溶け切った後もすぐには火を止めず15分程度は鍋を回していたかもしれない。
 これから二日間かけて3回の加熱冷却、加熱冷却を加えた。言わずと知れた甘味を滲みさせるための工程なのだが、レシピでは砂糖が十分に溶けたらそのまま自然冷却を1日程度行えば良いとあったが、倍以上の時間も掛けたのだ。冷えた度に一粒つまみ喰いして味見、豆の糖度が上がってくるのを実感する。
 ここまでに豆が割れたのは1個だけで、初心者初回にしては上出来と言っても良いだろう。爺我自賛祝着至極極まれり!。

 糖液は「えひめAI」の糖分に転用 ➡  半紙に広げ乾燥 ➡  グラニュー糖をまぶし完成した

 ここまでは順風満帆、グラニュー糖をまぶし1日経ったらグラニュー糖が全て溶けだしてしまった。慌てて二度目の乾燥を行う。まあ、「好事、間多し」としておこう。これ以外は初心者初体験にしては合格点だったのだから。今回も究極のスローフードとなってしまったわい。
 こんなことが出来るのも庭で工作が出来ない寒い冬のお蔭だ。室内で木工工作は粉塵が出るし、テレビはつまらん、読書もそうそう続けられるものではなく、いきおい「男子厨房に入り奮闘すべし」とものの本にあったからそうした・・・。
 しかし思い返してみれば何の事はない。セルフデイサービスでの調理実習なのであった。夢から覚めると儚いものだ。つまりは「簡単ではなかった夢」。

 ところで小生も木久扇師匠のように時々は回路が繋がる。フイールドからの帰路、元職場の後輩栄養士が犬の散歩をしているのに遭遇した。停車してしばしの四方山話の中でこの花豆甘納豆の不審点を伺ってみた。解答は「温度と水分が関係しているから・・・」と言う。しかし砂糖が溶ける気温ではなく結局は水分が犯人と結論。
 理由はレシピ通りにせず丁寧、念入りにした結果だったのだろう。浸水はほぼ三日、茹でこぼし三回に足す事圧力鍋での加熱一回、更に更に味をに含ませる加温と冷却を三回、とまあ十分に十二分に必要以上の水分を吸わせる環境だったのだ。グラニュー糖は溶けて半紙に吸われてから再度笊で乾燥させグラニュー糖をまぶした。冷蔵庫でしばし熟成の後、抹茶で頂くのだ。苦労の末の甘納豆もマメであるからこそ頂けるし味わえる。多々謝々。

 追伸:二回目のグラニュー糖まぶしも「結局は丹兵衛どん」であったのだ!。もう、阿呆馬鹿鼻垂れ、お前の母ちゃん出べそ‼、と悪態をつかずしてどうする。まあ、悪態ついてもどうにもならん…。



寝そけたニホンアカガエル

2021-02-25 | 感じるままの回り道
 泥水地の補修をしていた足元にニホンアカガエルが飛び出てきた。どこにいたのか不明なのだが造作で寝床を荒らしたのかもしれない。この表題は「寝そける」がいの一番に出たのだが確認のために辞書参照したら「寝そける」も「そける」も出ていなかった。小生の記憶では「寝そける」は使っていたように思っていたのだが、何せ古い記憶なので間違いかもしれないと思っていた。

 辞書には「寝はぐれる」と「寝そびれる」があったのだが小生の胸中では収まりが悪く多少のイラつき感があった。どうしても「寝そける」でないと納まりが付かないような感覚だ。客観的に見ればどうと言う事も無い小事些末なのは理解していても、そこは芸術感覚の優れた小生、小さな違いに心を掛けぬようでは大成しないのだ。

 一旦は「寝はぐれ」を表題に使ったもののすっきりしない。そこでネットで検索したらヒットしたのだ。朧な記憶の通り郷里で使っていた方言であった。やっとすっきりしたのだが関連した方言が幾つも記載されている。そのなんと心地よい響きよ。
 「二番ねいり」は記憶になかったが「ねまる」や「ながまる」はてまた「じょんのび」なんて目にしたら耳の奥に響いてきたようなお国言葉なのだった。
 電話でご機嫌伺いや近況報告をすれば聞こえるだろうが、やはり炬燵に入ってお茶の一杯を野沢菜漬けで頂いているような状況でないと方言本来の良さは聞こえない。