包丁のトギノン ブログ

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-割り込み材について3-

2011-10-31 | 包丁・刃物の鋼材について
―包丁・刃物の鋼材について3―
(日本刀と呼ばれるまでに)

前回、「割り込み材の構成については日本古来の刃物「日本刀」が大きくかかわってきている。」としましたので、私なりの私見も含めいろいろとお伝えしようと思います。

まず、「日本刀」とは何でしょうか?
日本に限らず世界のあらゆる国にそれぞれの地域性を持った刀剣がありますが、日本で製作されたのが刀剣の全てが日本刀と呼ばれるわけではないようです。
なるべく簡潔に書きますが、私見ですので、記載不足・間違いがあったらごめんなさい。

日本の歴史上、古く最も有名な刀剣は「草薙の剣」だと思われる。
現在は熱田神宮に三種の神器の一つとして奉納?されています。これは日本刀というより「神刀」と称したほうがふさわしい。

その後、飛鳥時代など聖徳太子の時代にも刀剣はありましたが、「太刀」「小刀」とよばれ「古代刀」と称されています。
デザイン的に「反り」の入ったものもありましたが、ほとんどは「直刀」の太刀で両刃のタイプが多かったようです。

その後の鎌倉時代も太刀が主だった刀剣でしたが様子が変ってきます。片刃で反りの入ったものが多くなってきたのです。
私見ですが、このあたりは刀剣の製造方法に秘密があるのでは?と思います。

なぜなら、古代刀と呼ばれるころは金属の精錬技術が未熟で熱処理加工の技術も低かったから。
刀剣は一般的に金属で作られています。大和時代などの古代では金属(青銅)が朝鮮半島(大陸?)から入ってきたとされています。
いわゆる「青銅の剣」です。とりあえず金属で作った刀といったところでしょう。なんだか「ドラクエ」みたいですね。もちろん青銅製の刀は炭素が入っていないので柔らかく、「焼きが入いらない」なまくらの刀。切るというよりは「突き刺す」「叩き割る」という使用方法だったと思われます。
それでも非金属の武器より強く破壊力もあったのではないでしょうか。

その後、鉄を精製できるようになり刀剣が作られるのですが、製鋼・熱処理技術がまだまだ未熟なため「突き刺す」「叩き割る」が主な使用方法の刀剣となります。
この時代に「直刀の太刀」が多かった理由は上記の使用方法で使いやすかったからなのでは?

鎌倉時代に「反り」の入った「太刀」が増えてきた理由は、製鋼・熱処理技術がある一定のレベルに達したから。
熱処理のときに温めた鉄を急冷させると金属は硬くなりますが、その一瞬で金属が延び縮み、反りが発生する様になった。
硬い金属を使用できるようになり「切る」ことを意識し始めたので片刃のものが多くなってきたのだが、太刀が多かったのは使用方法がさほど変化していなかったからと思われる。

そして戦国の世になると「太刀」がほとんどなくなってきて、「打物」と呼ばれる鍛錬により作られる刀剣が広まり、今まで以上に高炭素の金属を作れるようになった。相手の刀より固く切れ味の良いものを求めた結果だと思われる。
高炭素金属を使用し刀剣を作るに当たり弊害も出た。高炭素鋼は低炭素鋼より比重が重くなりがちである。したがって太刀と呼ばれる大きな刀剣は身を潜め振りやすくするため少し小ぶりの刀が台頭した。また使用方法も振りやすく、切れ味を求めたのでより反りと小型化の傾向が強くなり「脇差」「小太刀」と呼ばれるものも生まれた。

そうです。皆さんが一般的に「日本刀」と呼ばれるものは戦国の時代~江戸時代までのものをさし示すのです。
日本刀と呼ばれる高硬度の鋼材を作り、適切な熱処理加工、鋭い切れ味を生む、独特の技術はここで確立したといっても過言ではありません。
明治以降は西洋のサーベルの様式を取り入れた軍刀などが生まれたのですが、刀鍛冶は技術を磨き続け「新刀」「現代刀」と呼ばれる「日本刀」を歌舞伎の世界のように継承・伝承という形で打ち続けています。

思わず話が脱線気味でした。長くなり申し訳ない。
しかしこの日本刀と呼ばれる鋼材の作成法方が世界でもまれに見る独特のもので、それが割り込み材の製造に深く関係したのは間違いないと思います。
次回こそ日本刀の鋼材構造を図を交えながらお伝えしたいと思います。

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