包丁のトギノン ブログ

トギノン販売有限会社 包丁の製造販売店のブログです

関刀鍛冶について

2014-04-28 | 包丁について(総合)
関刀鍛冶について

先日、関市の「関まつり」が行なわれました。
まぁ、4月初旬はどこも春祭りが開催されてにぎやかなのですが。
そこで、関と言えば「刃物」「日本刀」なので、今回は関の鍛冶発祥について少しばかり述べたいと思います。

関鍛冶の発祥は鎌倉時代に始まったとされています。
なぜその時代なのか?
当時、豪族や武人による領土争いが激しくなってきていたという時代背景があります。
また、比較的平穏な土地柄と東西の文化・物流の交わる所であり、鍛冶を行なうのに適した炭(黒松の炭)と津保川・郡上川・長良川などの豊富な水にも恵まれていた土地柄だったためです。

日本の鍛刀技法には伍箇伝(大和・山城・相州・備前・美濃)というものがあり、そのうちの大和と相州、北陸の鍛冶の特徴を加味され関鍛冶(美濃伝)が成立したとされる。
鎌倉時代や南北朝時代の刀剣需要に重き要因におかれた煌びやかさの美・華を捨て、抜群の切れ味と折れず曲がらずと言う堅牢さをもつ鍛錬方法を確立したのが、関鍛冶(美濃伝)の主な特徴として伝えられている。

幾多の名工と呼ばれる刀鍛冶を排出してきた中には、金重(きんじゅう)、兼永(かねなが)かいた。
彼らは上記に記された様に関は刀鍛冶を行なうに相応しい土地柄だということで大和から移住しており、藤原氏一門の誼をもって藤原氏が氏神とする「大和の春日大社」の分霊を勧請し関鍛冶に関わる者の守護神とした。
これが「関の春日神社」の始まりであり、それに伴い現在でも毎年11月8日には鞴祭(ふいごまつり)、別名:鍛冶屋まつりと呼ばれる、たたら師、鋳物師、鍛冶師など金属を扱う職人たちの祭事が行なわれている。

関鍛冶には「七流」(善定:ゼンジョウ、三阿弥:サンアミ、奈良:ナラ、得印:トクイン、徳永:トクエイ、良賢:リョウケン、室屋:ムロヤ)というものがあり、それぞれに頭を立て、7人の頭の合議制によって独自の掟を作り互いに切磋琢磨し関鍛冶を繁盛させていったとされています。

その後は、皆さんも良く知られているように戦国時代に入ると斉藤道三、織田信長、豊臣秀吉などによって関は栄えて、明治の廃刀令が出るまで日本刀作りの地として名をはせたのです。
実際には明治以降も日本軍の軍刀なども製作されていたとされますが、現代に至ってはその技術を生かし様々な家庭用、業務用、医療用など様々な刃物を製作しています。

少々、難しい話になってしまいましたね。
私も、実体験をしたわけではないので様々な文献や関係者の方から聞いたお話を元に記憶をたどって記したに過ぎません。
それでは、また。