包丁のトギノン ブログ

トギノン販売有限会社 包丁の製造販売店のブログです

マーキングについて 其の弐

2008-10-31 | 包丁のマーキングについて
マーキング方法のお話です。

其の弐
今回は「電気腐食マーキング」について述べます。
電気腐食マーキングとは刃物の表面に文字や絵?などを電解してマーキングする加工の事です。

まず、用意しなければならないのが「ステンシル」と呼ばれる版の作成及び用意です。
包丁に入れたい「名(めい)」や「模様・イラスト・ロゴマーク」などを転写してステンシルの版を作成します。
次に電解を行う電圧機材の用意。
これは、電流が流れる「バレン」のような物。
バレンとは版画などに使われる押しつけてこするように使う「アレ」のことです。(上手く説明できなくてスミマセン)

あと、電解を促進させる電解液。
結構、これが肝心要なやつでこの電解液の選択肢次第でマーキングが白っぽくなったり茶色系、黒ぽくなったりと色を決定づける物となります。
もちろん、電圧や刃物の鋼材によっても色は変化しますし適していない電解液を使用すると鮮明にマーキングできません。まぁ、これは長年の経験や職人の腕、データなどによる物が大きいです。

包丁に先ほど用意したステンシルの版をマーキングしたい箇所に固定し、電圧機材を用いてステンシル部に電解液に浸しながら電圧をかけてゆきます。すると転写したステンシルのマスキングの所は電流が流れませんからマスキング以外のところが電解液と反応して金属表面が電解されてゆきます。
これが、電気腐食と呼ばれるマーキング方法です。

処理後は包丁についた電解液を石けん水などで中和してやらなければなりません。
この処理を怠ると包丁は錆びやすくなります。もちろんその後、新たに洗浄を行い手入れをなども行いますが。
以上が無事済めば、電気腐食マーキングは完了です。

比較的、マーキングの中では工程が簡単な部類で量産も出来、加工賃も「本腐食マーキング」に比べぐっと安価に出来ます。

弱点は、マーキングの彫りが浅い。金属を電解して入れるのですから砥石などでごしごし磨くと落ちてしまいます。しかし、洗剤や通常の使用では消えることはありません。
もう一つ弱点は、色が白系・茶系・黒系などからしか選択できません。「本腐食マーキング」のようにカラフルな色入れが出来ません。

少しはマーキングについて御理解いただけましたか?
マーキングのお話はたくさんありますので、ぼちぼち時を見計らいUPしてゆこうと思っております。

下記画像は電気腐食でマーキングした製菓で使われる「スパチュラ」のマーク部のアップ画像です。
オールステンのスパチュラでペガサスプロシリーズの150㎜。(品番:PPS-15)
衛生的で尚、かっこいいでしょ。






第41回刃物まつりの様子

2008-10-17 | 包丁について(総合)
先日お知らせしました岐阜県関市の第41回刃物まつりがお天気にも恵まれ無事開催されました。
ここをご覧の皆様に少しでも包丁や関市のことにご興味を持っていただけたらと思いレポートしてきました。
まず、朝一番に向かったのは濃州関所茶屋と春日神社の隣にある刀鍛冶伝承館。

お目当てはもちろん、古式日本刀鍛錬です。
刃物まつり時には1日3回披露されます。だいたい1回の披露が1時間半くらいです。
始まりの儀式の後、刀匠が火をおこしています。

真っ赤に燃えた鋼を折返し鍛錬してゆきます。鍛錬していくと鋼が冷えてゆくのでまた火にかけるという作業の繰り返しです。本当に気の長い地道な作業で見ているこちらも思わず息をのんでしまいます。

伝承館の室内には様々な日本刀などの展示物があります。
短刀と太刀の展示物。

普段は人形によって作業工程の様子がわかるように展示されていますが、さすが刃物まつり。日本刀研ぎ師、鞘師などの作業が実演で行われます。

本町通りで行われている廉売市はご覧のようにたくさんの人で賑わい大盛況でした。

お目当ての刃物をさがすお客さんで賑わう廉売店の様子。

如何でしたか?他にも居合い切りのショーなどの催し物がたくさんあります。
今回こられなかった方は来年、是非×2お越し下さいね。お待ちしておりますよ。


刃物のまち 岐阜県関市について

2008-10-08 | 包丁について(総合)
私どもの拠点、刃物のまちとして知られる岐阜県関市。
今回はその歴史などについて簡潔にお伝えしたいと思います。

その歴史の始まりは鎌倉時代までさかのぼります。
始まりは1人の刀匠が関に立ち寄ったとき、刀剣製作に必要な良質の焼刃土・火を高温に保つために必要な黒松の炭・清く豊かな長良川の水などがそろっているのを発見しここに移り住むこととなりました。
そして、優れた刀鍛冶師などが評判を聞きつけ集い技術を磨き素晴らしい刀剣の産地となりました。
その後、戦国時代の武将として名をはせた織田信長に関の技術が認められ鉄鋼船の鋼板に使用されることとなりました。九鬼や毛利水軍との戦いに勝利したのは史実にも記されております。
(当時の精錬加工技術ではハガネの鋼板を2㎜以下に製造できませんでした。薄く硬い鋼板を必要とする鉄鋼船のアイデアをあきらめていた信長に唯一それに答えることが出来た鍛冶屋は関の刀鍛冶たちだけでした。)
その後、大阪の堺の商人と包丁の取引が始まったそうです。堺は当時、鉄砲の産地であり豊富な鉄鉱石など資源を持っていたため関とは材料供給や技術交換が行われていたのでしょう。全ては織田信長の政策によるものかもしれませんね。
そして戦国時代・関ヶ原の戦い・江戸時代などの時代背景需要があり関の刀剣技術は世に広く知られ栄えることとなりました。
明治9年・西暦1876年に廃刀令が執行され刀剣は製造が制限されます。
食べてゆくために刀鍛冶たちは刀剣から包丁へと製造する物を替えてゆきました。
その後、旧日本軍が使用した軍刀なども製造しましたが、やはり時代とともに姿を消してゆきます。
今は技術・美術保護のため以外、日本刀が作られることはありません。
これが、今日ある刃物の町・関市の誕生です。現在、国内で製造される刃物の約7割は関産の刃物です。
私どものトギノン有限会社と親会社である(株)清水刃物工業所はこの歴史あるまちで技術を磨き刃物を製造・販売しています。歴史に裏付けられた環境・技術などがそろった関市でこれからも新しい製品の開発や情報発信を行ってゆきたいと思います。

今週末、10/11~12は「刃物まつり」がひらかれます。火の神様をまつる「春日神社」(奈良・春日大社の分祀)の隣にある刀鍛冶伝承館では古式日本刀鍛錬が 一般公開され本町通りでは刃物廉売市が催されます。
ご興味のある方は、是非おいで下さい。刃物に対しての認識が変わるかもしれませんよ。