偉い自分などあったらだめだ。
偉い自分も、偉くない自分もないのです。
貧弱な自分もなければ、強い自分もない。
そんなものは空々寂々(くうくうじゃくじゃく)、空寂々だ。
それがわかった時に、本当の偉さが出てくる。
偉いとか、偉くないとかいうのは、自分で決めるんじゃなくて、はたが決めるんです。
自分で自分は偉いんだろう。自分は少し偉くなったか、
そんなことを思っているような貧弱な心では、偉くならない。わかりますね。
自分は人より偉いんだ、聖者なんだ、なんて思っている人があるかも知れないけれど、
五井先生というのは、偉いんだとか、聖者なんだとか、思ってもいない。
みんな神さまのほうから云ったり、人が言ったりするんですよ。
このことは胆に銘じておきなさい。
我欲は一切ならん。我の想いなんか、自分が損するだけだ。甘やかしてくれることはいいことじゃない。
今まではいい。今まではみんながこうやって集まって、五井先生に親しんで、
みんな心がなごんで、つながったからそれはいい。しかし、これからはそれでは亡びてしまうのだ。
みんなが本当に世界を救う立場に立たなければならない。
少なくも世界平和の祈りの同志というものは、甘えに来るんじゃないんだ。世界人類を救うために来たんだ。
みんな前生からいえば菩薩級なんだ。世界平和の祈りでこのように集まっている人は、
全部、自分では知らないけれども、おばあさんであろうと、おじいさんであろうと、
昔から人を救うため、人類を救いたい、と思う念願で、生れかわり死にかわりして来た人たちである。
それをこの世の業(ごう)のためにわからないで、甘える立場になっているけれども、
実は、甘える立場ではなくて、人を救う立場なんだ。
世界人類三十億を救うということは、宇宙が平和になることなんであって、
三十億を救うための自分たちなんだ、ということを心にしみて想いなさい。
甘えなんか一切いらん。そんなもの何になる!一時のものではないか。そんなものは吹っとばせ!
今度は、きびしく本当に自分を見つめて、
自分の中に甘えがあったら、甘えを世界平和の祈りで消す。
怒りがあったら、怒りを世界平和の祈りの中で消す。
不安があったら、不安を世界平和の祈りの中で消す。
自惚(うぬぼ)れがあったら、自惚れを世界平和の祈りの中で消す。
自分の中のあらゆる業想念を、自分でもって、世界平和の祈りの中へ入れなさい。自分で入れなければだめだ。
今までさんざん、口が酸っぱくなる程五井先生から教わったのだから、もう言葉として教わる必要はない。
だから自分たちで世界平和の祈りの中へすべて入れなさい。
自惚れもだめ、
不安もだめ、
嫉妬もだめ、
甘えもだめ。
そんなものは一切消えてゆく姿。
これからは世界が変わる。思いもかけないほど変わる。今までのような世界に、人間がいくら生きたって何にもならん。今までの地球人類が何になるか。虫けらのようなものが生きていて何になるか。
そんなものはいらない。死ぬなら死ね。貧弱な地球人類なんかあったってなくたっていいんだ。
もう一遍全部やり直したほうがいい。
しかしそれでは、折角の神さまの愛もなくなるし、みんなが折角やってきたのに、何にもならないから、
あなた方、世界平和の祈りに集まっている人たちが、まず先頭に立って、
自分たちから甘えというもの、自分の想いというものを全部捨てて、世界人類を救う立場に早くなりなさい。
自分の生活は、一切五井先生にまかせてしまいなさい。私が全部引き受ける。
そしてあなた方のやることは、消えてゆく姿で世界平和の祈り。
迷いが出たら祈る。
甘え心が出たら祈る。
不安が出たら祈る。
短気が出たら祈る。
自惚れが出たら祈る。
あゝこれは私じゃない、消えてゆく姿なんだ、世界人類が平和でありますように、と心の底から思わなきゃだめ。
心のドン底から思わなければ、自分が損しちゃうんです。
神の子の永遠のいのちを、ここに現わすために、私たちは生きているんです。
みんな肉体を持っている。肉体の波に惑(まど)わされてわからないけれども、
もう永遠に光り輝いているものなのですよ。それがだんだんわかって来ます。
頭でもわかってくることは大きいことですよ。それはやがて実際にわかることです。
一切の甘えを捨てよ。
自惚れを捨てよ。
不安を捨てよ。
怠惰を捨てよ。
何に捨てるかというと、世界平和の祈りの中に捨てればいい。
必ずよくなります。