支部でイトウ君に読んでもらった五井先生の詩文は、『峻烈な愛』ではなくて、『峻厳なる愛』でした。
私の勘違いでした。すいません。
さて、その意味するところは何でしょうか?
五井先生は、私たち(私)に何を望んでおられるのでしょうか?
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『峻厳なる愛』
凛烈肌を刺す寒風のような
老子の一喝がなかったら
私は一介の行者でしかなかった
私は慈愛の使徒ではあったが
峻厳なる愛の深い温かさを自己のものとはしていなかった
愛は温かいが時には厳しくむちうつもの
だが私は人をむちうつ愛を嫌った
愛は優しく温かく
人の心をうるおすもの
私の道はそうした温和な愛と赦しの道であった
愛と赦しの祈りの道が
世界平和の祈りの道と
全く一つになりながら
人々の心を昇華させていったが
愛と赦しの道を妨げる
業(カルマ)波動を打ち砕く
強い力が望まれた
或る日私は変貌した
救世の大光明の中から
イエスが釈迦が
そして老子の一喝が
私の心に峻厳なる愛を呼び起こさせた
木枯吹きすさぶ厳冬の
深い蒼穹のように
消え去るものはすべて消えさらしめた今日此の頃
峻厳なる愛の心が
私の中に澄みわたってひろがっている