『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【3188】『峻厳なる愛』(五井先生)

2012-01-13 23:02:09 | 思索

支部でイトウ君に読んでもらった五井先生の詩文は、『峻烈な愛』ではなくて、『峻厳なる愛』でした。

私の勘違いでした。すいません。

 

さて、その意味するところは何でしょうか?

五井先生は、私たち(私)に何を望んでおられるのでしょうか?

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『峻厳なる愛』

 

 

凛烈肌を刺す寒風のような

 

老子の一喝がなかったら

 

私は一介の行者でしかなかった

 

私は慈愛の使徒ではあったが

 

峻厳なる愛の深い温かさを自己のものとはしていなかった

 

愛は温かいが時には厳しくむちうつもの

 

だが私は人をむちうつ愛を嫌った

 

愛は優しく温かく

 

人の心をうるおすもの

 

 

私の道はそうした温和な愛と赦しの道であった

 

愛と赦しの祈りの道が

 

世界平和の祈りの道と

 

全く一つになりながら

 

人々の心を昇華させていったが

 

愛と赦しの道を妨げる

 

業(カルマ)波動を打ち砕く

 

強い力が望まれた

 

 

或る日私は変貌した

 

救世の大光明の中から

 

イエスが釈迦が

 

そして老子の一喝が

 

私の心に峻厳なる愛を呼び起こさせた

 

 

木枯吹きすさぶ厳冬の

 

深い蒼穹のように

 

消え去るものはすべて消えさらしめた今日此の頃

 

峻厳なる愛の心が

 

私の中に澄みわたってひろがっている


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