『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【3183】生も死も、自分の思いである。 経験すべきことは経験せよ。 永遠の意識(永遠の生命)について

2012-01-05 05:07:08 | 思索

年中無休の営業の私ですが、お正月を孫たちと楽しく過ごしました。

来年のお正月も、同じように楽しく過ごしたいと思い(把らわれ?)、守護霊さん(本心)に訊いてみました。

 

昨年の東日本の震災のことを考えますと、私たちの生命は明日無くなるかも知れません。

 

瞑想のなかで得た答えは、

 

『生も死も、自分の思いである。(暑いも寒いも、自分の思いである。)

 

そういう事実(真理)で終わりである。 経験すべきことは経験せよ』でした。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

私も含めた多くの人たちの間で、肉体の霊化が進んでいるようです。

 

肉体の霊化とは、肉体は物質ではなくて「自分の思い」であると気づくことです。

 

肉体感覚は、自分の思いなのです。

 

 

この意識が、自分を内藤浩司と思い、肉体と思っているのです。

 

そして、この意識は今今今今と連続してあり続けます。

 

そのことを「永遠の意識(永遠の生命)」というのです。

 

この意識は、「永遠の今」にあり続ける存在です。

 

その意識の描く「思い」だけが、変化してゆくのです。

 

 

この意識は、誰のものでもなくて、宇宙神につながった働きです。

 

 この意識が、内藤浩司と思い、肉体と思い、寒いと思い、悔しいと思っているに過ぎないのです。

 

そのような事実(真理)に気づく方法のひとつが、「世界平和の祈り」であり、印を組むことです。

 

そして気づいた結果が悟りです。 

 

私たちの意識はすべて、天上天下唯我独尊なのです。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

「自分とは、この意識である」と気づくことが、悟りです。

 

この意識が、色々なことを思っているのです。

 

そして、その「思い」は、現われては消えてゆくものなのです。

 

「思い」は「消えてゆく姿」です。

 

ですから、自分の思いに把らわれてはいけないのです。

 

自分の思いに頓着しないで、「世界平和の祈り」をしながら、流れるように生きてゆけば良いのです。

 

それが、無為自然体(老子)のありようなのです。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

★上の文中の

「自分とは、この意識であると気づくことが、悟りです」という言葉は、

ちょっと違っているかもしれません。(^^;ゞ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。