『心の中の足あと』(西園寺由佳著)を読みました。その中のいくつかを紹介します。
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『ドン・ミゲル・ルイスという方の本にこのようなことが書いてありました。
≪人が自分を(精神的に)傷つけることは出来ない。自分しか自分を傷つけることが出来ないのだ≫と。
例えば、見知らぬ人に突然「バカ」あるいは「ブス」と言われて傷ついた場合、
その傷は相手の言葉によって生じるものではなく、
相手の言葉が真実であると自分自身が信じた瞬間に出来るのであると。』(p72・心の傷)
『誰もが、本来の魂の自分は、そのままで完全完璧で、しかも何にも冒されたりし得ないのです。
私は、自分の言葉と考え方で、自分の心を傷つけていたのです。
自分で作った傷は自分にしか癒すことが出来ないのです。
「心の傷」は、自分を傷つける他人の言葉を信じることによって生じるのです。
自分をバカにする人の存在を、自分の存在よりも重んじたから生じるのです。
自分という存在そのものに、感謝し、赦し、愛してあげることによって「心の傷」は埋まっていきました。
自分の奥底に、一生懸命に光つづける自分の魂のあることを想像してみてください。』(p72)
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★この文章を読んだ時ふっと、これは「我即神也」の意味の論理的解釈(?)だと思いました。(^^;ゞ
「相手の言葉を信じるのか!」それとも「自分を信じるのか!」という選択こそが、
「我即神也」を、自分が現すか否かの分岐点だと思うのです。
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『ドン・ミゲル・ルイスという方の本にこのようなことが書いてありました。
≪人が自分を(精神的に)傷つけることは出来ない。自分しか自分を傷つけることが出来ないのだ≫と。
例えば、見知らぬ人に突然「バカ」あるいは「ブス」と言われて傷ついた場合、
その傷は相手の言葉によって生じるものではなく、
相手の言葉が真実であると自分自身が信じた瞬間に出来るのであると。』(p72・心の傷)
『誰もが、本来の魂の自分は、そのままで完全完璧で、しかも何にも冒されたりし得ないのです。
私は、自分の言葉と考え方で、自分の心を傷つけていたのです。
自分で作った傷は自分にしか癒すことが出来ないのです。
「心の傷」は、自分を傷つける他人の言葉を信じることによって生じるのです。
自分をバカにする人の存在を、自分の存在よりも重んじたから生じるのです。
自分という存在そのものに、感謝し、赦し、愛してあげることによって「心の傷」は埋まっていきました。
自分の奥底に、一生懸命に光つづける自分の魂のあることを想像してみてください。』(p72)
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★この文章を読んだ時ふっと、これは「我即神也」の意味の論理的解釈(?)だと思いました。(^^;ゞ
「相手の言葉を信じるのか!」それとも「自分を信じるのか!」という選択こそが、
「我即神也」を、自分が現すか否かの分岐点だと思うのです。