『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2286】食べなくても良い体になったことが、嬉しい「慶び」!(^^;ゞ

2009-11-15 05:00:13 | 思索
「食べなくてもいい体になる」と、経済的にも肉体的にもとても楽(笑)です。(^^;ゞ

何か、「仙人(笑)になったような気分」なのですが、
そうである自分にうぬぼれて(?)しまってはいけない(笑)と思っています。(^^;ゞ

世間を見る目や、このブログでの記載が、「上から目線」(笑)になっていることが気になります。(^^;ゞ

それでも、「不食を含めた私の人生」は、ここまで来たのですから、もう先に進むしかない(笑)のです。(^^;ゞ

これから、どんなことが起きても、(不食で体を壊しても! その先に死があっても!)
「すべては、私の意識にとって必要な体験」なのです。

「内藤浩司の人生」には、何が起きても良いのです。(^^;ゞ
「内藤浩司」は、とにかく「祈るのみの人」なのです。(*^_^*)

「祈りを絶やさない人」であれば良いのです。(^^;ゞ

人はもともと、「無限なる供給によって活かされている存在」なのです。

「経験(体験)」に「良いも悪いもない」です。 (^^;ゞ


■「意識は永遠!(死んでも意識がある)」のだとすると、

★★★「私の意識」は、自分の死を経験できるのかも知れません。★★★(*^_^*)


「私の意識」が、「自分の死」を経験する場面を考えると、ワクワクします。(^^;ゞ

(これは、「眠ってゆく意識」を追っている意識と同じだと思うのです。)

私が人生の役目を終えたら、「自分の死」を意識的に受け入れたいと思うのです。

『死者の書』は、そういうレベルの本なのだと気付きました。(^^;ゞ


■『すべて必要。すべて良し』なのです。

『すべては、必要な体験』なのです。

 「自分の死」も、『必要な経験』の一つなのです。

「永遠のいのち」を生きている者(本当は、誰でもが、「永遠の命」を生きている者)としては、
「自分の死」も受け入れることができるはずなのです。

いや、死は、「受け入れるか否か?」という問題ではない(笑)のです。(^^;ゞ

だれにでもに、必ず起きることなのです。(*^_^*)