『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2198】「楽しんでやる!」が、今後のテーマ

2009-08-17 02:40:44 | 思索
『星が丘の平和集会』で聞いた話なのですが、

今年の7月大行事は、いままでの行事とはまったく違ったそうです。

以前の行事は、苦行(笑)でしたが、 それまでの行事が積み重ねられたことによって、

明るい事柄(光明)を思えば、それがすぐに実現する世界(次元)になったので、

今後の行事では、「楽しんでやる」がテーマになったのだそうです。

それで、今回の7月行事の前には、「楽しんでやるように!」という指示があったそうです。(*^_^*)


★今後は、「明るい世界」のみを現わすのです。そういう覚悟が必要です。

そういう意識(覚悟)を持てば持つほど、「明るい世界」が、加速して現れる(笑)のです。


★この話を聞いて、「やっぱり、アリスは潰れないのだ!」(笑)と思いました。(^^;ゞ

「潰れないアリス」を創造(想像)すればよいのです。(*^_^*)
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白光誌8月号の『神人たちへのメッセージ』で一番重要な文は、

『神人の目的は、政治を変えることでもなければ、戦争を食い止めることでもない。

利益をもたらすことでもなければ、富むことでもない。

人類一人一人が自らの高次元意識によって、自らに与えられた無限なる自由と創造力と可能性を限りなく発揮し、
幸せと至福に満ちた人生を生き切ることである。』(p14)なのです。

そして特に重要なのは、最後の『神人の目的は、幸せと至福に満ちた人生を生ききること』です。


★いままでの「世界平和の祈り」や「印」や「行事」によって、神人は、

『幸せと至福に満ちた人生を生ききること』が、スムーズに出来るようになったのですから、

それを信じて(笑)、『幸せと至福に満ちた人生を生き切ること』が、神人の目的(役目)なのです。(^^;ゞ


★考えてみますと、「幸せを創造(想像)するエネルギー」は、宇宙に無限にあるのですから、

そのエネルギーを使って、自分を幸せにすることは、誰にでも出来るのです。


★自分の否定的な想念が、「無理だ!」と思うから、成就しないだけなのです。

自己限定をするから、成就しないのです。(^^;ゞ
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『星が丘の平和集会』で話題になった本を紹介します。

★『数学的にありえない 上・下巻』(アダム・ファウアー・著 , 矢口誠・訳)文春文庫

【世界が興奮した超絶ノンストップ・サスペンス・未来を予見する力を持った天才数学者を追う、
政府の秘密機関。次々に繰り出される謎が驚愕の真実にたどり着く、傑作サスペンス】

難解な科学な話が、わかりやすく説明されている上に、小説としても面白い。

★『光のアカシャ・フィールド』(よしもとばなな・ゲリー・ボーネル著)
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以下は、私の興味のある本です。

★『宇宙につながる第8のチャクラ』(ジュード・カリヴァン/井上実訳/徳間書房)

「宇宙につながる第8のチャクラ」は、通常人の持つ7つのチャクラの意味をわかりやすく解説し、それらが互いに関連し合い、その基盤の均衡とともに、さらに、「宇宙の心という第8のチャクラは、自我を基盤とする意識という、認識のオクターブを完成させるものであり、なおかつトランスパーソナルな意識に至る門戸でもあります。」

『宇宙につながる第8のチャクラ』の感想(ブログ)

【2197】『戦争証言アーカイブス』(「国家」は、共同幻想です。 「消えてゆく姿」です)

2009-08-16 03:52:54 | 思索
★『忘れないで、私たちの戦争 (中居正広が聞く 過酷な戦場からの証言)』(NHK)を見ました。

戦争の体験談というのは、肉親や隣人の死や殺戮に関するものであり、とても重いものばかりです。

NHKの番組の宣伝の中で若者が、
『もし、「自分のいのち」を差し出せという国家なら、そんな国家は要らない。滅んだ方がいい』と言っているのを聞いて、
その通りだと思いました。

国家は、「国民の生命」を守るためのものであって、
「国家」を守るために、「国民の生命」が犠牲になるのは、本末転倒です。

戦争を回避するように外交をするのが、国家(政治家・役人・権力者)の役目ですから、戦争を決断することは、自らの役目を放棄することです。



★ネット上に、『戦争証言アーカイブス(NHK)』(10月12日までの期間限定)が公開されています。

戦争によって、幸福になる人は、一人もいません。

「国家」は、共同幻想です。 「消えてゆく姿」です。

戦争体験は、すべてが「消えてゆく姿」であることを、学ぶためのものです。

我が家の家系でも、父親の兄が、ガダルカナル島で亡くなっています。

戦争で、身近な多くの人達が、たくさん亡くなったことを、もっと深く受け止めなければならないと思うのです。

『ガダルカナル島に投入された日本軍、3万1千人のうち、5千人が戦死、1万5千人以上が飢えと病で命を落としたとみられる。
ガダルカナルの戦いののち、日本軍は南太平洋の島々で次々と敗走していくことになる。』(ネットより)

★昨日は、『星が丘の平和集会』に参加しました。ちょうど、敗戦の日だったので、
戦没者の方々の天命が完とうされることを祈りました。

★終戦の日とお盆が重なっていることに、何か意味があるのだろうかと思って、ネットで調べてみました。
 

『忘れないで、私たちの戦争 (中居正広が聞く 過酷な戦場からの証言)』

『戦争証言アーカイブス』

『「お盆」=「人生の戦士」のための「終戦記念日」』(プログ)

【2196】「三毒(怒らない。ねたまない。愚痴らない)」追放!(^^;ゞ 

2009-08-15 01:03:07 | 思索
「常に、全人(人類)の幸福」を願っている人でありたい!」とは思うのですが、
目先の欲に、心を奪われてしまうことも多々あるとは思うのです。 (^^;ゞ

それでも、「全人(人類)の幸福を願う気持ち」(慈愛・慈悲心)を持つことを心掛けることが大切だと思うのです。

「自分の意識」を洞察し見抜いて、努力を続けることが、
人生を完成させることであり、悟りへの道を歩いていることだと思うのです。(^^;ゞ
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先日のNHK教育テレビで、勝間さんが、自分の人生を変えた一冊として紹介していたのが、
『洞察力 (本質を見抜く「眼力」の秘密)』(中山正和著)です。

中山氏は、情報工学の専門家で、大脳生理学や東洋哲学などの見地から、
「怒らない。ねたまない。愚痴らない」が、問題を先延ばしにしないで、
すばやく解決する方法であると指摘しています。

以下のプログが参考になります。(^^;ゞ

「洞察力/中山正和」を読んで!

【2195】「自分の心」を見つめる!(^^;ゞ

2009-08-14 01:45:48 | 思索
【2194】の文は、すこし前から用意してあったのですが、はからずも(笑)、
NA―Oさんの「大阪城ホールで、ライブをしたい」という夢に、うまく関連づけて書くことができました。(^^;ゞ
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★ほとんどの大人には、邪念(業)があるので、NA―Oさんにも、おそらく邪心(有名になりたいとか)はあると思うのです。(^^;ゞ

それでも、「他人を害するこ夢」でないならば、だれのどんな夢でも叶えられることが望ましいのです。

それぞれの精進によって、夢が成就することが、天命を完とうすることです。

それで、NA―Oさんのことも応援しようと思い、「全体にとって良い」という指針に基づいて、
思いついたことをしてみるつもりです。(^^;ゞ

★多くの感動のなかで、「それぞれの人の夢」が実現し、さらに多くの感動が生まれる状況をつくっていくという、
具体的な作業(夢の実現)は、とても楽しいことです。 (^^;ゞ

それは、それぞれの「いのち」を輝かせることです。

★どのような人生を歩み、何を経験するのかは、まったく、「人それぞれのこと」です。

たとえ病の床にあっても、心に感動があれば、それで良いと思うのです。

「病」をどう捉えるのかは、その人次第です。


★この頃は、地球世界感謝行や光明思想徹底行を、めんどくさがらないで(笑)、毎日一回は必ず、

本気で、出来るだけ大きな声で、「自分」を中心において、「この自分が。するのだ!」と思ってやっています。

本気でやると、その都度、かなり深い感動を感じます。(*^_^*)


★「自分は、何をする人なのか!」を考えることも大切なことなのですが、 

「人生の真のテーマ」は、「何をする人なのか!」ではなくて、

「どういう考え、あるいは、どういう気持ちの人なのか!」ということだと思うのです。


★問題(人生のテーマ)は、『「自分の心」がどうであるのか!?』だと思うのです。(^^;ゞ

自分は、「全人(人類)の幸福」を願っている人なのか、
「自分だけの幸福」を願っている人なのかということなのです。(^^;ゞ

【2194】子供の「邪念の無さ」が好き!(^^;ゞ

2009-08-13 06:13:42 | 思索
★自分の子供であるとか、孫であるとかには関係なく、私はなぜか「子供」がとても好きです。(^^;ゞ

「子供の姿」を見ただけで、自然に微笑みが浮かぶのです。(^^;ゞ

その「生きている姿」「輝いている姿」が好きなのです。いとおしいのです。(*^_^*)

彼らの「いのち(意識)」に語りかけて、一緒に遊んでみたくなるのです。(^^;ゞ


★「子供のいのちの輝いている姿」が、いとおしくてならない(笑)のです。

そう思って世間をみると、ほとんどの女性たちは、「子供」をみると、自然に微笑んで語りかけています。

だから、私の子供への気持ちは、「母性愛(神の愛?)」なのかも知れません。(^^;ゞ


★子供には、「やりたい事をなんでも、制限なくさせてあげたい」と思うのです。

でも大人に対しては、なかなかそうは、思えない!(^^;ゞ


それはたぶん、大人には「業(邪心)」があるので、

「邪心を成就させるのは、如何なものか!?」(笑)と、私が思うからなのです。(^^;ゞ

簡単にいうと、子供には「邪心(邪念)」がないから好きなのです。


★自分も「邪念(邪心)のない人」になれたら良いなあと思うのです。

「まったく、なんの邪念(邪心)もない人」は、素敵だと思うのです。(^^;ゞ

私のイメージでは、良寛さんなのですが(^^;ゞ

【2193】すべての夢が叶い、世界は調和にあふれて平和になる

2009-08-12 01:53:40 | 思索
【2192】のNA―Oさんの夢は、2年後に大阪城ホールで、ライブをすることです。

彼は、その夢に向かって、頑張っていますが、

大阪城ホールでライブすることは、目標(通過点)ではあっても、目的(最終的な)ではないのです。

日々歌をうたうことが楽しくて、その積み重ねが将来、大阪城ホールでのライブになるのです。

「大阪城ホールでのライブ」のために、「今」を犠牲にしているのではないのです。(^^;ゞ

大切なことは、瞬々刻々の自分の「いのち」を輝かせることであり、
そういう日々の積み重ねが、大切だということす。(^^;ゞ

NA―Oさんの「大阪城ホールで、ライブをしたいという思い」のなかには、
「みんなで、夢を実現したい」という祈りが入っています。(^^;ゞ

「自分だけが、有名になりたい」ではないのです。

★私の場合で言えば、
「自分だけが、儲けたい」(笑)は、浄化されていない思いです。
一時的に、成就したとしても、揺り戻しが来ます。(^^;ゞ

「みんなが、幸せになりますように、善くなりますように」という思いの『商業哲学』(笑)を持っていれば、
きっと、商売は、永続的に繁盛します。

「みんなが、幸せになりますように、善くなりますように」と思っていれば、
すべての夢が叶い、世界は調和にあふれて平和になるのです。(^^;ゞ

【2192】自分の中の「真実」に従って、行動をすればよいのです。

2009-08-11 00:58:46 | 思索
人はだれも、「自分の中の『真実』に従って、行動をすればよい」と思うのです。

そして、本当は、誰でもが、いつでも、自分の中の『真実』に従って行動をしていると思うのです。 (^^;ゞ

人間は、誰でも、自分のなかの『真実』を生きていると思うのです。 (^^;ゞ

やっていることは、本人の「やりたいこと」なのです。


★ただ、そこには法則があって、「全体が調和する行為」であれば、成就し続けますが、
「全体の調和を損なう行為」ならば、一時的に成就したとしても、「不調和な状態」なので、
ゆり戻しが起きて、再び、「調和」に向かうのです。

「不調和な状態」は、長続きしないのです。(^^;ゞ


★「自分の思い」が、浄化されているか否かが、ポイントです。

「浄化された思い」とは、「私利私欲」がなくて、「全体を調和させる思い」ということです。(^^;ゞ

「自分の思い」を浄化させて、行動することが大切です。 そうすることよって、「全体」が調和するのです。


★浄化された「思い」は、「夢」と呼ばれます。

自分も良くて、周りの人にとっても良い状態が成就するのが、「夢の実現」なのです。

【2191】「想念の無駄使いをやめる」

2009-08-10 04:21:13 | 思索
お盆が近くなって、故人のことを色々と思い出すことが多いのですが、
「想念の無駄使いをやめる」というのは、私が22歳ぐらいの時に、婚約中の家内の父親が、私にしてくれた話なのです。
その時のシチュエーションは、今でもはっきりと覚えています。(^^;ゞ

今、手元に『信念の魔術』(クラウド・M・ブリストル著)という昭和39年に発刊された文庫本があります。
その家が取り壊される前に、彼の本棚から形見として頂いたものです。

とても興味深い目次(笑)なので、ご紹介します。

1、 私は信念をつかんだ(成功と悲運のわかれめ)
2、 心とは何か(精神という万能の黄金)
3、 潜在意識とは何か(潜在意識は力の根源)
4、 暗示は力だ(信じることが運命をつくる)
5、 イメージ(映像)をつくること(潜在意識にたよって生活・くりかえしの効果)
6、 鏡が潜在意識を躍動させる(私は鏡の技術を知った)
7、 外界は心の投影(文明は想像力と潜在意識の産物)
8、 思いは実現する(科学の禁断鏡)

「真理」は何年たっても変わりませんね。(^^;ゞ
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★昨日は、家内とNA-Oという男性の無料ライブを聴きに行きました。

一ヶ月ほど前に、八尾のアリオ(スーパーマーケット)に家内が買い物に行ったとき、
屋内のステージで、NA―Oさんが歌っておられて、その高音の響きが、とても心地良かったそうです。

そし昨日、NA―Oさんの無料ライブが豊中市内のスーパーマーケットであったので、一緒に聴きに行ったのです。

当日は、歌わなかったのですが、『夢ある限り』(メジャーで発売中)と言うCDに入っているアップテンポの3曲が、
ちょっと、日本離れしていて(笑)、とても良いです。 どの歌も、楽曲(特に詩)が、とても良いのです。

難しいことは判らないのですが、
NA-Oさんの詩は(曲も)、イメージの広がりがあります。
ご自分の言葉で書かれているので、具体性があり、心に届くのだと思うのです。

NA―Oさんは、27歳で伊丹市に住んでおられます。

NA―OさんのHP(動画もあります)

【2190】「本気で、やる」・「想念の無駄使いをやめる」・「不安も心配もないのが、本当」

2009-08-09 06:00:30 | 思索
【2186】の「本気で、顕わす」というのは、キーワードだと思うのです。(^^;ゞ

知っているだけ、思っているだけでは、意味がないのです。

本気で、『無限なる自分(無限なる可能性を秘めた自分)』を顕わすことが、
『究極の真理』を顕現することです。

これを簡単にいうと、『思いついたことは、なんでもやってみる、試してみる!』です。

『本気で、試してみる。その勇気を持つ』です。(^^;ゞ


★「売れ行きは、神の仕事」だと思うのです。(^^;ゞ

「不安も心配もないのが、本当」なはずです。(^^;ゞ


★私は一生懸命に作る人であり、愛情深く、お客さんと接する人であれば良いのです。

あとのこと(売れ行き)は、神の仕事です。

私が、結果(売れ行き)を気にかける必要はないのです。

「売れ行き」を考えるのは、想念の無駄使い(笑)です。


★「ぜんぜん、売れない」は幻想です(^^;ゞ

 その日のその時点で、「売れ残っている」だけなのです。

今の商売ではあまり稼げないから、すぐに店をやめるという話でもないのです。

(そんなことを思いながら、20年以上もやっているのですから、想念の無駄使いです!)(^^;ゞ


★「売れないこと」と「廃業した、その後」を関連させて考えるから、苦しくなるのです。 

「一人相撲(想念の幻想)」に気づかなかっただけなのです。(^^;ゞ


愛情を込めて、一生懸命に商品を作った後は、

ビールでも飲んで、お客さんを待っていれば良いのです。(^^;ゞ

人事を尽くして、天命を待てば良いのです。


★「私」は一生懸命に働く人であり、結果(その時々に、売れるか売れないか)は、「神の仕事(しわざ・みわざ)」なのです。

そう思えるようになって、とても気持ちが、楽になりました。(^^;ゞ


★私はただ、一生懸命に「世界平和の祈り」をし、印を組むという「神人の仕事(天命)」を果たせばよいのです。(^^;ゞ

後は、「神さまが良いようにしてくれる。全体が調和する!」というのが、「安楽の法門」です。(^^;ゞ


★私は、「世界平和の祈り」をして、印を組んでいれば、「すべては必ずよくなる」と信じ、行ずれば良いのです。

それが、「神人」としての、唯一の仕事(?)です。


★「白光の教え」の実行とは、「消えてゆく姿」(経験)をすること自体のことです。


自分は、「真理」を知っているつもりでいましたが、

『真理そのものを顕している人を真理というのである』なのですから、

自分の肉体で顕わさなければ、「真理」ではないのです。(*^_^*)


「真理」を知っているだけでは、「真理」ではなく、
「真理」が顕れたことにはなりません。(^^;ゞ


★「祈り」のことを考えることは、「祈り」ではないのです。祈ってこそ、祈り(いのち)なのです。

自分では気がついていなかったのですが、
この頃のわたしは、「祈り」について考えるばかりで、実際に祈ってはいなかったのです。

それで、あれこれと考えることになり、想念の中に迷い込んでしまい、「苦」を感じていたのです。(^^;ゞ

一人相撲だったのです。想念の無駄使いだったのです。(^^;ゞ

「自分の想念」で、自分が苦しんでいたのです。


★このようなことを、「祈りが、足りない」というのです。(^^;ゞ

文字通り「祈りが、足りない」ので、ゴチャゴチャと考えるのです。

実際に祈っていて、印を組んでいる時には、思考(想念)が、入る余地はないのです。(*^_^*)

【2189】「苦」は、どこから来るのか? なぜ、「苦」なのか?

2009-08-08 05:14:04 | 思索
【2187】にある「人間即宇宙」とは、「一人一宇宙」のことだと思うのです。
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本当に徹頭徹尾、「一人一宇宙」であり、宇宙には、ただ、「私の意識」だけがある

そして、この意識は、「いま」にあり続けているだけの代物


「いま」にあり続けていて、

「自分という思い」の「実体」は、あるようでなくて、(^^;ゞ


 「自分」が、勝手に、あれこれと思い描いて、

それが「現実」だと、「思っている意識」の不思議さ


「神我一如」も、、「一人一宇宙」と同じ意味

自分とは、「宇宙いっぱいの存在」であるということ


「肉体」のなかに、「心」があるのではなくて、「心」のなかに「肉体」があるという、「意識(思い)」の真実


いったい、私は何か? 何者か?

 神か? 精神か?

 神と呼ばれる精神か?


「世界人類が平和でありますように」という念仏に、

救済される自分の不思議は、宇宙への回帰、神我一如


「思い」がなければ、「世界観」はない

「世界観」がなければ、「意味」はない 

「意味」がなれば、「価値(優劣)」がない


「人間即宇宙」・「一人一宇宙」が、 真実


その中にあって、 「苦しみ」とは何か?

人間は、「何」が苦しいのか?


「苦」は、幻想です

「苦しい」と思うのは、「自分」に目を向けて、

「一人一宇宙」「神我一如」を見出すための再確認作業、精神の内省です

宇宙は、「神」の別名です

【2188】核廃絶 We Can! (「こんな思いを、他の誰にもさせてはならぬ」という祈り)

2009-08-07 04:07:29 | 思索
64年前の8月6日(昨日)、人類史上初の原子爆弾が、広島市に投下された。
この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡した。
【原爆死没者慰霊碑に納められる「原爆死没者名簿」の記載数は、25万8310人(2008年8月6日現在)】

原爆が投下されたこともまた、「日本の業の天命」であり、そういう歴史的なプロセス(犠牲)のなかで、
「世界平和の祈り」が、日本に降ろされた話を、以前に書いたことがあります。

それでもやはり、人類や日本の業を消すための「消えてゆく姿」だとはいえ、
とても大きな惨事であることには、間違いはありません。

そして今年、そのプロセスに、「輝かしい好転の兆し」が加わったと思うのです。(*^_^*)

米国に、マイノリティで有色人種のオバマ大統領が登場して、
「核兵器のない世界の創造」を提案し、その呼びかけが、
今年の「原爆の日」の『広島平和宣言』に盛り込まれたことは、画期的なことです。

それは、多くの人たちの意識が、「自分の私欲」を差し置いて、「世界の平和」を願うようになったからです。

『広島平和宣言』のなかの、

『「こんな思いを、他の誰にもさせてはならぬ」という被爆者たちの悲願を実現するために、
2020年までに核を廃絶する』という言葉が印象的でした。

『広島平和宣言』の最後に、英語で世界に呼び掛ける一文があります。

『私たちには、力があります。私たちには責任があります。

そして、私たちはオバマジョリティー(核廃絶を訴える、世界の多数派)です。

力を合わせれば、核兵器は廃絶できます。絶対にできます。』
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★上の文中に『「こんな思いを、他の誰にもさせてはならぬ」という被爆者たちの悲願を実現するために』という言葉があります。

「悲願」の字面の印象は、上の文章のタイトルにそぐわない(笑)と思えたので、「祈り」に換えました。

『「こんな思いを、他の誰にもさせてはならぬ」という被爆者たちの祈り』としました。



「広島市への原子爆弾投下」

「10代がつくる平和新聞」

【2187】「人間即宇宙存在」・「神我の世界」「神我の世界」について

2009-08-06 04:21:18 | 思索
【2186】を読んでも判りますように、『無限なる自分』と、『無限でない自分』があるのではないのです。
自分の無限なる可能性を実現させていくのが、自分なのです。(*^_^*)

『すべて必要。すべて良し。すべては、全肯定!』だと言っても、
いつでも、『無限なる自分』を表わせいるわけではないのです。(^^;ゞ

自分の意志で、自分のいのちを輝かせる選択をし、努力をするからこそ、「無限なる自分」を顕わすことができるのです。

★【2186】のなかの「人間即宇宙存在」は、『輝ける生命のメッセージ』の中の言葉です。
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■宇宙の法則は 宇宙の神秘に満ちている

本来の自分とは ‘己が宇宙であり 宇宙が己である‘

無限なる生命 無限なる魂そのものである

故に 自らの存在の奥を探求してゆくと そこに宇宙の神秘を垣間見る

三十八億年という連綿と続いた生命の流れ

『人間即宇宙存在』を知るに至るのである

自分の魂の内奥は謎にみちている

内面にある光にみちたものを探求してゆくと

そこに『神我の世界』を見出すのである


人類はみな自分自身のことを

敬い 尊び 礼拝する心をもって扱うならば

自らは自らが尊んだ通りのものとなる

だがしかし、人類がみな自分自身のことを

罪や汚れ 不完全 病気にみちた 不調和な存在として扱うかぎり

自らは自らが不完全 不調和として扱った通りのものになる


常に人類のみなが自らのことを

無限なる愛 無限なる叡智 無限なる幸せに満ちた存在である

と知るならば いや確信するならば

それ以下のものを自らに引きつけることは有り得ないのである


人類はみな

全き調和 全き叡智 完全き平安の中に包まれ生かされているのである

これらの能力を 他のいかなるものも奪い取ることは出来ない

人類はみな 大いなる宇宙の法則のもとにあって

『神我』に属するものを自分自身に引き寄せて生きていくのである

人類よ 

汝自らが欲する姿

即ち真理そのもの 尊き理想の姿を心に思い描くのだ

そうすることによって

自らはもとより 他のいかなるものをも害さず 汚さず 憎まず 

ただ高貴なる自分が存在しつづけるだけである


人類はみな一人一人

無限なる癒しの力を内に秘めている

肉体は神秘にして宇宙の秘密に満ちている

癒しの力は

身体中の至るところに遍満し

聖なる肉体の中に包まれている

この内なる偉大な力の存在に

誰もが目を覚まさなければならない   (p72)
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★文中の『人間即宇宙存在』・『神我の世界』・『神我』という言葉に注目したいと思うのです。

それは『自分とは宇宙であり、神である(自分=宇宙=神)』という意味だと思うのです。

これらの言葉がポイントです。これらの言葉の意味を把握できると、文章全体の意味が、とても深く理解できます。(^^;ゞ

【2186】真理そのものを顕している人を真理というのである

2009-08-05 03:33:16 | 思索
【2185】の昌美氏の言葉の中で、一番印象的な文章は、
『真理とは何か。真理そのものを顕わしている人を真理というのである。
究極の真理そのものを肉体の上に顕現してゆく人を、真理というのである』です。

その『究極の真理』の内容とは、『無限なる自分』ですから、上の文章は、
「無限なる可能性を持った自分」を実現することが、すなわち、『究極の真理』を表わしていることだとなります。(*^_^*)

その『無限なる自分』の内容は、
「無限なる愛、無限なる叡智、無限なる歓喜、無限なる幸せ、無限なる感謝、無限なる生命(いのち)、
無限なる健康、無限なる光、無限なるエネルギー、無限なるパワー、無限なる成功、無限なる供給・・・・」です。

★そしてさらには、『今にありつづける私の想念即宇宙(人間即宇宙存在)』もまた、
この『究極の真理』のなかに入っていると思うのです。(^^;ゞ

★『究極の真理』を生きるとは、 自分が『究極の真理』を、意識して実行することなのです。(*^_^*)

★真理を知っているだけでは、自分に「真理が顕われたこと」にはならないのです。(^^;ゞ

「無限なる自分」を、本気で顕わしてこそ、『究極の真理』を生きていることになるのです。(*^_^*)

【2185】「神人」であるとは、どのような状態のことなのか?

2009-08-04 04:28:32 | 思索
「神人であるとは、どのような状態のことなのか」について、考えてみたいと思うのです。

★簡単にいいますと、「常に祈り、印を組んでいる人」だと思うのですが、白光誌8月号には、以下のように書かれています。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

■真理とは、教えではない。道でもない。書物でもない。生きているものでもない。

真理とは、あなた方神人、および真理を言動行為に顕してゆく祈り人そのものなのだ。

人類は、真理の書を読み、学んでも、たとえそれを知識として理解し、納得しても、真理はなかなか魂に浸透してはいかない。

肉体に真理を顕現してゆかねば、人々を変えることは出来ないのである。

真理とは何か。真理そのものを顕している人を真理というのである。

究極の真理そのものを肉体の上に顕現してゆく人を、真理というのである。

神人として生きてゆこうとする意識、努力、そして長い間の否定的想念の習慣、固定観念を覆し、
果因説に基づく光明なる言動行為を肉体に顕してゆこうとする意識こそが、重要なのである。(p15)
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★この文章を読むと、とても勇気が湧いてきます。(^^;ゞ 

『真理とは、教えではない。道でもない。書物でもない。生きているものでもない』は、その通りだと思うのです。

★普通、真理とは「教え」や「道」だと思い勝ちですが、そうではないのです。

「教え」や「道」とは、真理についての解説であり、言葉(概念)に過ぎないのです。

「教え(祈り・印)」が実行されたとき、実行した人は「真理の時間(一刻一刻の自分)」を過ごしているのです。

「いのち」が輝いているのです。(*^_^*)  祝福に満ちた時を過ごしているのです。(^^;ゞ

【2184】「神人であるか否か?」とは、何か(^。^?

2009-08-03 03:58:38 | 思索
「神人」は、特別な人ではないのです。白光の集まりに行っても、そこのいるのは、
外見的には普通のおじさんやおばさんや若者です。(^^;ゞ  女性が多いのが特徴的です。

私の関心事は、常に、「それが、論理的に正しいかどうか?」なのですが、(^^;ゞ
彼女たちは、「白光の教え」が正しいことが、直感的に判っているようです。(^^;ゞ

「お祈り」や「五井先生」が、「好き」な様があふれています。(^^;ゞ

彼女たちも、家内と同じ『好き嫌い族』(笑)だと思うのですが、その「魂の計画」により、維持会員となり、「神人」となっています。(^^;ゞ


★「神人」であることは、私にとっては普遍的で、「あたりまえのこと」なことなのですが、
今世で「神人」になる計画がない方々にとっては、さほど関心のない、他人事だと思われます。(^^;ゞ

★このプログを、どのような方々が読んでおられるのかを推察してみました。(^^;ゞ

現在の『知足日記』の読者は、200人ぐらいです。先週は、250人の日もありました。(^^;ゞ

『情熱大陸』にトッラクバックを送る前は、180人位の読者数で、その多くは、白光の維持会員さんだと思います。(^^;ゞ

それで、『知足日記』を読んでおられる「神人」の方は、120人位かなと勝手に想像しています。(^^;ゞ

「神人」さんにとっては、釈迦に説法だとは思うのですが、(^^;ゞ
『知足日記』での探求が、なにかの参考になれば嬉しいです。
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★それで、【「神人であるか否か?」とは、何か?】という問いの答えは、

「自分の人生の計画」の中に、「神人」となることが含まれているのか否かです。