『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2182】「外見(体型・顔・衣服)に執われるな!」という自戒(^^;ゞ

2009-08-01 01:24:55 | 思索
【2181】で書いたような『神の思い(天命)』が、肉体で顕現できているか否かが大事なことであって、
外見(体型・顔・衣服)は、関係がないのです。 (^^;ゞ

簡単に言うと、「他人のために、自分を活かすこと」が、「私」に求められていることであり、
その時々に、私の肉体でそれをすることが「善きこと(良いこと)」のようです。

そういう「私心のない行為」をすることが、天命を完とうすることなのです。(^^;ゞ

★外見(体型・顔・衣服)に、把らわれてはいけないのです。(^^;ゞ ←これは、自分への「自戒の言葉」(笑)です。

外見は、「その人の本質」ではないのです。(^^;ゞ

座談会で聴いた話なのですが、Kさんは、海外にも出掛けて、白光の平和の活動を支えている方ですが、
その活動は、ご主人の稼いだお金でまかなわれています。

ご主人は、「自分は、世界平和のために物理的に動くことが出来ないので、お前が代わりにやってくれ。
自分の給料を遠慮なく使って、是非、世界を平和にするための活動をして欲しい!」と言われるのだそうです。

Kさんのご主人は、さっそうと印を組まれる方ではなく、腕も背中も曲がっています。(^^;ゞ

私は「なぜ?」と思っていたのですが、人間の価値は、かっこよく印が組めるとか、「統一」の姿勢が美しいとかいうことではなくて、(^^;ゞ
「神の思い」を、それぞれの役目として、「働き」として顕現することだったのです。(^^;ゞ

白光のそれぞれの維持会員さんには、違った役目があって、
世界を平和にするために、さまざま働き(活動)をしているのだなあと思いました。 (^^;ゞ

★人間が、「自分の天命」を完とうするということは、「良い」とか「悪い」とか、「カッコが悪い」とか、
「どうあるべきだ!」とかいう話ではないようです。