【2186】の「本気で、顕わす」というのは、キーワードだと思うのです。(^^;ゞ
知っているだけ、思っているだけでは、意味がないのです。
本気で、『無限なる自分(無限なる可能性を秘めた自分)』を顕わすことが、
『究極の真理』を顕現することです。
これを簡単にいうと、『思いついたことは、なんでもやってみる、試してみる!』です。
『本気で、試してみる。その勇気を持つ』です。(^^;ゞ
★「売れ行きは、神の仕事」だと思うのです。(^^;ゞ
「不安も心配もないのが、本当」なはずです。(^^;ゞ
★私は一生懸命に作る人であり、愛情深く、お客さんと接する人であれば良いのです。
あとのこと(売れ行き)は、神の仕事です。
私が、結果(売れ行き)を気にかける必要はないのです。
「売れ行き」を考えるのは、想念の無駄使い(笑)です。
★「ぜんぜん、売れない」は幻想です(^^;ゞ
その日のその時点で、「売れ残っている」だけなのです。
今の商売ではあまり稼げないから、すぐに店をやめるという話でもないのです。
(そんなことを思いながら、20年以上もやっているのですから、想念の無駄使いです!)(^^;ゞ
★「売れないこと」と「廃業した、その後」を関連させて考えるから、苦しくなるのです。
「一人相撲(想念の幻想)」に気づかなかっただけなのです。(^^;ゞ
愛情を込めて、一生懸命に商品を作った後は、
ビールでも飲んで、お客さんを待っていれば良いのです。(^^;ゞ
人事を尽くして、天命を待てば良いのです。
★「私」は一生懸命に働く人であり、結果(その時々に、売れるか売れないか)は、「神の仕事(しわざ・みわざ)」なのです。
そう思えるようになって、とても気持ちが、楽になりました。(^^;ゞ
★私はただ、一生懸命に「世界平和の祈り」をし、印を組むという「神人の仕事(天命)」を果たせばよいのです。(^^;ゞ
後は、「神さまが良いようにしてくれる。全体が調和する!」というのが、「安楽の法門」です。(^^;ゞ
★私は、「世界平和の祈り」をして、印を組んでいれば、「すべては必ずよくなる」と信じ、行ずれば良いのです。
それが、「神人」としての、唯一の仕事(?)です。
★「白光の教え」の実行とは、「消えてゆく姿」(経験)をすること自体のことです。
自分は、「真理」を知っているつもりでいましたが、
『真理そのものを顕している人を真理というのである』なのですから、
自分の肉体で顕わさなければ、「真理」ではないのです。(*^_^*)
「真理」を知っているだけでは、「真理」ではなく、
「真理」が顕れたことにはなりません。(^^;ゞ
★「祈り」のことを考えることは、「祈り」ではないのです。祈ってこそ、祈り(いのち)なのです。
自分では気がついていなかったのですが、
この頃のわたしは、「祈り」について考えるばかりで、実際に祈ってはいなかったのです。
それで、あれこれと考えることになり、想念の中に迷い込んでしまい、「苦」を感じていたのです。(^^;ゞ
一人相撲だったのです。想念の無駄使いだったのです。(^^;ゞ
「自分の想念」で、自分が苦しんでいたのです。
★このようなことを、「祈りが、足りない」というのです。(^^;ゞ
文字通り「祈りが、足りない」ので、ゴチャゴチャと考えるのです。
実際に祈っていて、印を組んでいる時には、思考(想念)が、入る余地はないのです。(*^_^*)
知っているだけ、思っているだけでは、意味がないのです。
本気で、『無限なる自分(無限なる可能性を秘めた自分)』を顕わすことが、
『究極の真理』を顕現することです。
これを簡単にいうと、『思いついたことは、なんでもやってみる、試してみる!』です。
『本気で、試してみる。その勇気を持つ』です。(^^;ゞ
★「売れ行きは、神の仕事」だと思うのです。(^^;ゞ
「不安も心配もないのが、本当」なはずです。(^^;ゞ
★私は一生懸命に作る人であり、愛情深く、お客さんと接する人であれば良いのです。
あとのこと(売れ行き)は、神の仕事です。
私が、結果(売れ行き)を気にかける必要はないのです。
「売れ行き」を考えるのは、想念の無駄使い(笑)です。
★「ぜんぜん、売れない」は幻想です(^^;ゞ
その日のその時点で、「売れ残っている」だけなのです。
今の商売ではあまり稼げないから、すぐに店をやめるという話でもないのです。
(そんなことを思いながら、20年以上もやっているのですから、想念の無駄使いです!)(^^;ゞ
★「売れないこと」と「廃業した、その後」を関連させて考えるから、苦しくなるのです。
「一人相撲(想念の幻想)」に気づかなかっただけなのです。(^^;ゞ
愛情を込めて、一生懸命に商品を作った後は、
ビールでも飲んで、お客さんを待っていれば良いのです。(^^;ゞ
人事を尽くして、天命を待てば良いのです。
★「私」は一生懸命に働く人であり、結果(その時々に、売れるか売れないか)は、「神の仕事(しわざ・みわざ)」なのです。
そう思えるようになって、とても気持ちが、楽になりました。(^^;ゞ
★私はただ、一生懸命に「世界平和の祈り」をし、印を組むという「神人の仕事(天命)」を果たせばよいのです。(^^;ゞ
後は、「神さまが良いようにしてくれる。全体が調和する!」というのが、「安楽の法門」です。(^^;ゞ
★私は、「世界平和の祈り」をして、印を組んでいれば、「すべては必ずよくなる」と信じ、行ずれば良いのです。
それが、「神人」としての、唯一の仕事(?)です。
★「白光の教え」の実行とは、「消えてゆく姿」(経験)をすること自体のことです。
自分は、「真理」を知っているつもりでいましたが、
『真理そのものを顕している人を真理というのである』なのですから、
自分の肉体で顕わさなければ、「真理」ではないのです。(*^_^*)
「真理」を知っているだけでは、「真理」ではなく、
「真理」が顕れたことにはなりません。(^^;ゞ
★「祈り」のことを考えることは、「祈り」ではないのです。祈ってこそ、祈り(いのち)なのです。
自分では気がついていなかったのですが、
この頃のわたしは、「祈り」について考えるばかりで、実際に祈ってはいなかったのです。
それで、あれこれと考えることになり、想念の中に迷い込んでしまい、「苦」を感じていたのです。(^^;ゞ
一人相撲だったのです。想念の無駄使いだったのです。(^^;ゞ
「自分の想念」で、自分が苦しんでいたのです。
★このようなことを、「祈りが、足りない」というのです。(^^;ゞ
文字通り「祈りが、足りない」ので、ゴチャゴチャと考えるのです。
実際に祈っていて、印を組んでいる時には、思考(想念)が、入る余地はないのです。(*^_^*)