■『すなわち、全宇宙は、心において存在している。
客観的事実と見える物理的宇宙もまた、心における現象である。
宇宙万物は、心の内にある。したがって、私の内に心はなく、心の内に、私がある』
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★「全宇宙は、心において存在している」という文章は、「過不足がない」と思うのです。 (^^;ゞ
普通、私たちは、「外側」に宇宙(外界)が存在していると思っていますが、そうではなくて、
心があってこそ、「外界」が認識できるのですから、
『外界と心は、同時に存在している(主客合一)』・『外界は、心において存在している』が、事実です。
『各人が、「外界」と思っている事柄』は、『各人の心と共に存在している「外界(客観的事実と見える物理的宇宙)」』なのです。
★『各人の心』は、「自分の思い描いた外界(客観的事実と見える物理的宇宙)」を経験しているのです。
これが、『各人の心』と『外界(客観的事実と見える物理的宇宙)』との正しい関係です。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★「私たちの心」は、「時空を超えたもの」です。 「時間の感覚」も「空間の感覚」も、「心が描いている思い」です。
★宇宙(時空間)とは、『各人の心』に映った「それぞれの思い」です。
それでいて、「それぞれの思いを行動にうつして、肉体界での共同生活をし、「思い」を再構築しているのが「私たち」です。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★後半の『宇宙万物は、心の内にある。したがって、私の内に心はなく、心の内に、私がある』とは、
「各人の心(思い)だけが、ただただ在る」という意味です。
そして、心が作り出した事象を、お互いがまた、自分の心に取り得れて、経験という「思い」を形成し続けているのです。
これが、「宇宙の真実」(笑)です。(^^;ゞ
★「心(思い)」だけが存在していて、その「心(思い)」をカタチにすることによって、
お互いに影響を与え合い、「生きている」のが私たちなのですが、
「心だけが存在している」というのも「思い込み」なので、本当は、「心」も実在はしないのです。
★「私(自分)という思い」も、「思い込み」の一種です。
客観的事実と見える物理的宇宙もまた、心における現象である。
宇宙万物は、心の内にある。したがって、私の内に心はなく、心の内に、私がある』
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★「全宇宙は、心において存在している」という文章は、「過不足がない」と思うのです。 (^^;ゞ
普通、私たちは、「外側」に宇宙(外界)が存在していると思っていますが、そうではなくて、
心があってこそ、「外界」が認識できるのですから、
『外界と心は、同時に存在している(主客合一)』・『外界は、心において存在している』が、事実です。
『各人が、「外界」と思っている事柄』は、『各人の心と共に存在している「外界(客観的事実と見える物理的宇宙)」』なのです。
★『各人の心』は、「自分の思い描いた外界(客観的事実と見える物理的宇宙)」を経験しているのです。
これが、『各人の心』と『外界(客観的事実と見える物理的宇宙)』との正しい関係です。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★「私たちの心」は、「時空を超えたもの」です。 「時間の感覚」も「空間の感覚」も、「心が描いている思い」です。
★宇宙(時空間)とは、『各人の心』に映った「それぞれの思い」です。
それでいて、「それぞれの思いを行動にうつして、肉体界での共同生活をし、「思い」を再構築しているのが「私たち」です。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★後半の『宇宙万物は、心の内にある。したがって、私の内に心はなく、心の内に、私がある』とは、
「各人の心(思い)だけが、ただただ在る」という意味です。
そして、心が作り出した事象を、お互いがまた、自分の心に取り得れて、経験という「思い」を形成し続けているのです。
これが、「宇宙の真実」(笑)です。(^^;ゞ
★「心(思い)」だけが存在していて、その「心(思い)」をカタチにすることによって、
お互いに影響を与え合い、「生きている」のが私たちなのですが、
「心だけが存在している」というのも「思い込み」なので、本当は、「心」も実在はしないのです。
★「私(自分)という思い」も、「思い込み」の一種です。