『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1529】「あっけらかん」と生きる (*^_^*)

2008-08-18 03:45:47 | 思索
14年前に買った『あっけらかん』(あんがいおまる書画集 JDC刊)に、
「老子の心」を表した言葉が載っていますので紹介します。

書と一緒にご覧いただくと、「老子の心」がより伝わるとは思うのですが、(^^;ゞ
(*^_^*)印で、「楽しげな書」の雰囲気を出してみました。(*^_^*)
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《 なにか 好きなもののことを 考えてごらん 》(*^_^*)

《 世界は わたしたちの ほんとうの遊び場 》(*^_^*)

《 みんな 遊び友だち  うれしく しょうがない 》(*^_^*)
    
《 どんな衣もまとわず  どんな荷物も持たず  何の努力もせず
  どんなすぐれたものにも  気をとらわれることなく 》(*^_^*)

《 賢人は 生まれたばかりの赤子のように 空っぽで 無知だ 》(*^_^*)

《 自分を あるがままにさせる 喜び 》(*^_^*)

《 しなければならないことなどは なにひとつありません 》(*^_^*)

《 ゆったりとして 怠けましょう 》(*^_^*)

《 わたしが 制限をつけなければ 制限はありません 》(*^_^*)

《 幸福は ほんとうにそれをすることが 好きだから やってくる 》(*^_^*)

《すべての混乱は 良きことのために 起きる 》(*^_^*)

《 悟るとは たのしくやること 》(*^_^*)

《 わたしは子ども 自由きままで 喜びに満ち 分別のない子ども 》(*^_^*)

《 あっけらかん  ゴクラクトンボのわたしです 》(*^_^*)

《 こころが開いていると はっきりとものが 見えるようになる 》(*^_^*)

《 心から すべての想いを 追い出して ここにいるだけになろう 》(*^_^*)

《 宇宙には なんだって たっぷりあります 》(*^_^*)

《 わたしは 風の存在を知っている けれど 風を 見たことはないです 》(*^_^*)
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★あなたは、どの言葉が一番好きですか? 私は、以下の順です。(^^;ゞ

①《 自分を あるがままにさせる 喜び 》(*^_^*)

②《 わたしが 制限をつけなければ 制限はありません 》(*^_^*)

③《 しなければならないことなどは なにひとつありません 》(*^_^*)

④《 賢人は 生まれたばかりの赤子のように 空っぽで 無知だ 》(*^_^*)

【1528】「老子のような生き方」がしたい(*^_^*)

2008-08-17 06:13:04 | 思索
この『知足日記』は、いろいろな理屈のオンパレード(笑)でした。(^^;ゞ
「自分がより良く生きるため」であるにしろ、(^^;ゞ
なぜ、こんなにも沢山の理屈が必要だったのか、自分でも不思議です。(^^;ゞ

この『知足日記』の答えは、4年前の初めのページに、もうすでにあったのです。(^^;ゞ
40年前(高校2年生の時)に『老子(の精神)』を知って以来、「老子のような生き方」をしたかった。
 「自分の魂」は、それを望んでいた。 それだけのことだったのです。(^^;ゞ

そして世の中には、『老子のような生き方がしたい』と思っている人と、そうでない人がいる。(^^;ゞ
それが、池田晶子さんのいう「分かっている人」と「分かっていない人」の違いだったのです。

もし、他者を判断するモノサシがあるとしたなら、
『老子的な生き方を望む人とか、否か』かも知れません。(^^;ゞ

『老子のような生き方がしたい』のなら、そうすれば良い(笑)だけなのでした。(*^_^*)
やっと、「ごちゃごちゃと考える必要はない」と思えました。(^^;ゞ

これはひとえに、「白光真宏会の維持会員さんの活動」に出会えたお陰です。(^^;ゞ
白光真宏会の維持会員さんたち、ありがとう御座いました。 (*^_^*)
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★『老子のような生き方』を、簡単にいいますと、
「宇宙的な心な広い心で、愛情をもって、把らわれなく生きること」です。

【1527】「自分の人生」は、「消えてゆく姿」である。 (自分は、死すべき存在である)

2008-08-16 03:23:48 | 思索

「自分」は生きていて、今ここにあるのですが、そのことが「消えてゆく姿」であることを、肝に銘じたいと思うのです。
「自分」は、やがて、消えてゆくのです。「自分という存在」は、「消えてゆく姿」なのです。(*^_^*)

そして、霊的な真理として、「思い」だけが残るのです。
死んでも、「意識」は無くならない、存在し続けるという話なのです。(^^;ゞ

このプログにも書きましたように、最近、「身近な二人の女性(エツコさんと、ヨシカワ先生)の死」を経験して、
「死が、自分にも起こる」ことを再確認したのです。 (^^;ゞ

そしてこの、『自分は、死すべき存在であること』を、みなさんと共有したいのです。(^^;ゞ

この『自分は、必ず死ぬ』という事実を前提にして、
「自分は、どのように生きるべきなのか?」を、自問して欲しいのです。(^^;ゞ

自分が死ぬときに、人生(自分の記憶)を振り返って、
「良い人生だった」と思って、笑って死ねる(笑)か否かが問題です。(^^;ゞ

これが、『知足日記』のテーマです。(^^;ゞ

【1526】フュージョン音楽を聴いていると、時が立つのを忘れる(*^_^*)

2008-08-15 09:44:46 | 思索
車を運転している最中に聴いたFM放送の音楽が、超・気持ち良かったので、
そのアルバム名の『オフランプ』をネットで調べたら、
パット・メセニー・グループの演奏で、それはフュージョン音楽でした。

レンタル屋さんで探したのですが、『オフランプ』は古いアルバムなのでありませんでした。
換わりに、『スピーキング オン ナウ』(2002年)を借りたのですが、なかなか良かったです。
聴いていますと、超・気持ち良いです。(*^_^*)  これが、深夜のことです。(^^;ゞ

それでまた、目の前にあるラジオのスイッチをFM放送にしましたら、
『バチカンビートボックス』というアルバムの『Hassan's Mimuna』と、
シンクオブワンの『アレラミネラ』がかかっていて、これらもまたフュージョンでした。(^^;ゞ
どちらも民族音楽とロック音楽がミックスされたものなのです。

この頃の私は、「音は、うるさいもの」(笑)と思っていたので、もう長時間、音楽を聴くことはないと思っていましたが、
さっきから3時間ぐらい時を忘れて、恍惚感にひたって、『スピーキング オン ナウ』を聴いています。(^^;ゞ

これはまるで、お盆休み中の私への、神様からのプレゼントのようです。
「私のいのち(人生)」を、またひとつ、豊かにすることが出来ました。(*^_^*)

★フュージョン音楽は、シンセサイザーがなければ成り立たない音楽です。(^^;ゞ
 現代さん、科学さん、ありがとう御座います。 (*^_^*)

パットメセニー

『バチカンビートボックス』

【1525】『食べることをやめました』(森美智代著)

2008-08-15 09:17:03 | 思索
『食べることをやめました』森美智代著(マキノ出版 2008年刊)を読みました。

★著者は、「一日に、青汁一杯だけ」で、13年間を過ごしていますが、
痩せた体形でなくて、 現在の体重は60キロだそうです。

1962年生まれの森さんは、『1リットルの涙』の著者・木籐亜矢さんと同じ病気(脊髄小脳変性症という難病)に、
21歳のときになり、その後すぐに甲田先生の「生野菜の超小食療法」を始めました。

食事の量が減るのと足並みをそろえるように、病気の症状は少しづつ軽減をしていき、
寝たきり寸前で、床をはっていたのが、やがて普通に歩けるようになったそうです。
現在、体重が多すぎて困っているそうです。(^^;ゞ

この本を読んで、
『1リットルの涙』の著者の木籐亜矢さんも、甲田先生の「生野菜の超小食療法」に出会っていれば、
治ったのではないかと、悔やまれました。(亜矢さんは、中学3年生で発症し、25歳で亡くなりました。)

以下、『食べることをやめました』を読んで、私が興味深いと思ったことを書きます。
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★体重は、食べた量には関係がない。

★森さんは、病気になり、青汁のみの生活になったことで、「食べる楽しみ」を無くしましたが、
他人のオーラが見えるようになり、自動書記やチャネリング、遠隔療法などが出来るようになったそうです。
現在は、それらの知識と能力を活かして、甲田医院の近くで鍼灸院をされています。

★断食中は、気の流れが速くなります。そして、物を食べない分、消化器全般がエネルギーを使わないでよくなるので、
気が病気直しのほうに行くそうです。

★背腹運動★
 あるとき、甲田先生に背腹運動のコツをうかがったところ、
「1~2ヶ月の間、毎回1時間半くらい、風を切るように、すごいスピードでやりなさい」と言われました。

それをやっていると、あるとき、メトロノームのように動かしていた背骨がビシッと外れる感じがして、
ひとつひとつの骨が動いて、ムチみたいにしなる感覚がありました。

そのとき、宇宙と一体になったような、生きながら天国に行ったかと思うようなすばらしい開放感が得られらのです。

その後は、とても体が楽になり、いつも幸福感がふわーと広がったような感覚が持続するようになりました。』(p164)

■これは、ヨガ(呼吸法)をして、背骨を伸ばしたときの、なんとも言えない幸福感に似ていますね。(^^;ゞ
 横隔膜や背骨を動かすと、物理的に快感が得られるようです。

そして、この快感は、「統一」や印を組んだときの「宇宙をつながった感覚」と共通なのだと思いました。(*^_^*)

【1524】自分の「意識」を、表明する!

2008-08-15 00:28:24 | 思索
【1523】では、ちょっと変なことを書いてしまった(笑)とも思うのですが、
皆さんは、どのように思われますか(^。^?

ここまで『知足日記』を書いてきて、
この「自分」を、匿名の誰かにすることは出来ないと思うのです。 (^^;ゞ

この「内藤浩司」が、生きていて、
そして、『知足日記』に、本当のこと(笑)を書こうとしているのですから、
自分の「意識」に起きていることを、表明すべきだと思うのです。 (^^;ゞ

判断は、みなさん個人個人の「意識」にお任せします。


【1523】「内藤浩司」のしたいことを、させろ!

2008-08-15 00:10:34 | 思索
【1522】の『消えてゆく姿(プロセス)として、大切だ 』は、
「それ自体を味わいなさい」、「それ自体を楽しみなさい」ということでもあるのです。(*^_^*)

「快い思い」も「不快な思い」も、必要があって、味わうために起きているのです。
「怒り」や「憎しみ」もまた、必要な「思い」なのです。  『すべて必要。すべて良し 』なのです。

「自分の怒り」を味わって楽しめないようでは、本当の自由人(笑)とは言えません。(^^;ゞ
「食」は、素敵なことなのです。 「食」は、罪悪ではないのです。(^^;ゞ

さきほど、「統一」をしながら、ウトウトしていましたら、
突然、「『内藤浩司』のしたいことをさせろ!」(笑)という言葉が心に浮かびました。(^^;ゞ
ちょっと危険な言葉(笑)ですが、今の状況を考えますと、
 守護霊さんからの「激励のメッセージ」なのかも知れません。(^。^?

それでもこれは、「業欲」を表せということでなくて、
「自分のいのちを、輝かせて御覧なさい」という意味です。

★そんなこんなで、今回のお盆休みは、「自分がワクワクすることを探す」がテーマのようです。
家内の指導で、体に負担が掛らないように注意しながら、「興味ある食べ物と食べ方」を探索しています。

「美味しいものを、味わう」という幸せは、確かにあると思うのです。 (^^;ゞ

そのほかのことも、「内藤浩司」の思いと行動に任せてみようと思うのです。 (^^;ゞ

「自分」のない不惑の境地ならば、「神人・内藤浩司」(笑)の行動そのままが、
「自分のいのちを輝かすこと」でもあると思うのです。

みなさん、「ワクワクする人生」を楽しみましょう。(*^_^*)

【1522】退屈感・空虚感・空腹感は、「消えてゆく姿」である。 味わい尽くす!

2008-08-14 01:38:55 | 思索
【1521】とは反対に、「気持ちの良くない状態」のことを考えてみました。
退屈感・空虚感・空腹感は、あまり心地良くないことです。(^^;ゞ

そういう場合は、「世界平和の祈り」をしたり、印を組むと、
退屈感・空虚感・空腹感に把らわれない、落ち着いた心境が訪れます。

それで、退屈感・空虚感・空腹感が、単なる一時的な気持ちであって、
「消えてゆく姿」であることがわかります。(^^;ゞ
これは、「体験的な真実」(笑)です。(^^;ゞ

★それでも、【1521】の⑦のように、「酷暑であっても快感を感じる」という、「心のありよう」もあります。(^^;ゞ

これは、「暑さ」に対して、「積極的な態度」になったときに起きます。
私の場合ですと、「よし、酷暑をとことん味わってやるぞ」(笑)と思うと、「暑さ」が気にならなくなります。
「かかって来い! もっと暑くなってみろ! 」(笑)と思うことすらあります。(^^;ゞ

「暑さ」が嫌で、「暑さ」を避けたい、「暑さ」から逃げたいと思っていますと、
「暑さ」は、どこまでも追いかけてきます。(^^;ゞ

反対に、「暑さよ、かかって来い!」と思うと、「暑さ」を感じられることが嬉しくなってきて、
「最高!」(笑)と叫びたい気持ちにさえなります。

「暑さ」を感じられるのは、生きている証です。
私たちは、「2008年夏の暑さ」を体験するために、生まれてきたのです。(^^;ゞ

こういう「積極性」を、自分の退屈感・空虚感・空腹感に発令して、
味わってみるのも、自分の「いのちを輝かせる方法」の一つです。

★つまり、「気持ちの良さ」も「気持ちの悪さ」も、両方とも、
『消えてゆく姿として大切である』ことに気づければ、私たちは、
どちらの気持ちに把らわれこともなく、瞬々の直感(インシュピレーション)に従って、
生きていくことが出来るのです。(^^;ゞ

【1521】自分の魂を、ワクワクさせる方法!!(*^_^*)

2008-08-14 00:22:09 | 思索
平泳ぎで金メダルを獲った北島康介選手の「超~、気持ちいいです」(笑)という言葉を聞くと、
「超」の付く「気持ち良さ」とは、どのようなものであるのかが気になります。(^^;ゞ
出来れば、自分も味わってみたいと思います。(^^;ゞ

金メダルを獲った時の「気持ち良さ」の中身を考えてみますと、
「自分の努力が報われた達成感」や「自分の人生への大いなる肯定感」、
「周りの人たちに喜んでもらえる嬉しさ」などがあります。(*^_^*)

私はどのような時に、「気持ちの良さ(快感)」を感じるのかを考えてみました。(^^;ゞ
① 仕事がスムーズにはかどっていて、ドンドン売れる時。
② 楽器の演奏をしている時。
③ 食べている時。
④ 寝る前のウトウトし始めた時。
⑤ 「統一」(「世界平和の祈り」)をしている時。
⑥ 印や呼吸法をしている時とその後。
⑦ 酷暑を感じている時。
⑧ クーラーの涼しさを感じている時。
⑨ 朝、コーヒーを飲みながら、新聞を読んでいる時。
⑩ 自分の「好きなもの」を買う時。
⑪ 昌美氏の本や白光誌を読んでいる時。
⑫ プログの記事を書いている時と、更新した時。
⑬ ヨガをしている最中とその後。(これは、身体的な「超気持ち良さ」が、精神にも広がります) などです。

バシャーはよく、「自分がワクワクすることを選らんで、人生の道標にしなさい」といいますが、
「気持ち良さ」と「ワクワク感」の選択は、「自分のいのち」を輝かせる方法です。

教え(モノサシ)に把らわれますと、「考え方」が堅苦しくなってきて、
「自分のいのち」を輝かせることが出来なくなりますから、注意しなければなりません。(^^;ゞ

「人生」は、パッと行きましょう!(*^_^*)

★昨日は時間があったので、
なんの考えもなく、自分のその時々の興味を満たしながら、天王寺を歩いてみました。

その時々のインシュピレーションで、行動していましたら、
『アーフターヌーン ティー』という見晴らしの良い店で、
美味しいパンとコーヒーを飲むことになりました。(^^;ゞ

すこし高価でしたが、「超、きもち良かった」です。(^^;ゞ
周りは、全員女性でした。(^^;ゞ  そのとき、
女性は、自分の気持ち(魂?)をワクワクさせる方法に長けている(笑)と思いました。(*^_^*)

そして、「白光の維持会員の大半が、女性であること」の謎が、解けました。(^^;ゞ
私自身も、「女性的である」とよく言われます。(^^;ゞ

白光の会員さんには、権威主義的な人、抑圧的な人はいないのです。(^^;ゞ
他人に抑圧的な人は、自分に対しても抑圧的なので、「考え」に把らわれて、
他人も自分も型にはめようとします。(^^;ゞ

★先日、「私の絵手紙講座」の前の時間帯の「アレンジフラワーの講師の先生(女性)」が、
すい臓癌で亡くなられたという話を聞きまして、
生きているうちに「美味しいものを、食べておこう」(笑)と思いました。(^^;ゞ
もちろん、限度はありますし、身分相応の話です。(^^;ゞ

そして、その「食いしん坊」もまた、「消えてゆく姿」ですから、
愛しいことなのです。 (^^;ゞ

【1520】「決心」と「プロセス」が大切! 「一瞬一瞬の思い」が大切!!

2008-08-13 03:25:44 | 思索
オリンピックで、金メダルを奪取する裏には、様々なドラマがあって興味深いですね。
特に数回のオリンピックに渡る「メダル奪取劇」の裏には、さまざまな挫折(「消えてゆく姿」)があり、
オリンピック選手たちが、難局を乗り越えてきた話は、私たちを勇気付けてくれます。

こういう「ドラマ的な把握(真理の把握?)」を、テレビなどで紹介するのは、日本独特なのでしょうか(^。^?

先日も、『てれび寺子屋』で、柔道家の古賀さんが、ご自分の金メダル奪取についての体験を語っておられました。

「決心」と「プロセス」が大切であり、それらが自分を成長させてくれる話とか、
「一瞬一瞬の思い」が大切である話とか、「白光の教え」に通じる内容(笑)でした。(^^;ゞ

古賀さんは、ご自分の町道場で、柔道を通じて、
子供たちにそういうことを伝えていきたいのだそうです。

【1519】『宣言を伴った呼吸法』が、「私」を育ててくれる!(^^;ゞ

2008-08-12 04:20:39 | 思索
『宣言を伴った呼吸法』の効果を感じているのは、「自分」です。
やっている最中の恍惚感(笑)もさることながら、(^^;ゞ
「自分」が把らわれなかったら、物事がとてもスムーズに進むことを体験させてもらっています。

先のことを心配しないでも、「その時」になると、「その時の判断」が降りてくるので、
「自分」を消して、状況にまかせて行動を選ぶ・・・・という『無限なる供給的生き方』(笑)が、
身についてきたようです。

あすから5日間のお盆休みです。 それなりには、「他人の役に立てる状況」(笑)があるのですが、
どのような「休日の日々」になるのかが楽しみです。(^^;ゞ
「状況」が、私に何をさせてくれるのかが楽しみです。(*^_^*)

以前は、「予定のない休日」を迎えるのは苦痛(笑)でしたが、
このごろの私には、印や「祈り」があるので、心やすらかに日々を過ごすことができます。(^^;ゞ

それにしても、『宣言を伴った呼吸法』は、「私」を何処に連れていこうとしているのでしょうか?

アセンション(次元上昇)後でも、「陽気に暮らせる心」を育ててくれていると思えるのです。(^^;ゞ
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■毎日書きたいと思っているのですが、(^^;ゞ
昨日は、早朝も夜も、ネットに接続することが出来ませんでした。(^^;ゞ

【1518】「一人一宇宙」と愛と慈悲。老子のように生きる。(*^_^*)

2008-08-12 03:47:17 | 思索
本当に、それぞれの人は、他人とはまったく違う、「自分だけの思いの世界」に住んでいると思うのです。
それを、「一人一宇宙」と言います。
この「一人一宇宙」という事実を、自分の魂に刻み込んでおくことが必要です。(^^;ゞ

他人が、「不都合」だとか「不幸」だと思うのは、その人の「思い癖」が原因です。
他人の問題は、他人の問題なのですから、冷たい言い方で恐縮ですが、(^^;ゞ
「私には関係がない」のです。 「そんなの関係ない!」(笑)なのです。(^^;ゞ

その反面、「愛」とは、他人の問題(不都合・不幸)を自分の問題(不都合・不幸)だと思える感性ですから、
「愛」とは、「慈しみの心を持って、すべての他者に尽くす覚悟」でもあるのです。

この二つを実行できなければ、老子のようには生きられません。(^^;ゞ

つまり、「我即神也、私は神のように愛深く完全完璧であり、何事にも把らわれない。
私のいのちは、宇宙につながっている」なのです。

【1517】「この世界のすべては、熱心な祈りの結果、現れるもの」

2008-08-10 04:04:40 | 思索
【1516】の内容と関係がありそうなことが、『死後世界地図Ⅲ』に載っていました。
Ⅱ、Ⅲの他のページも見たのですが、以下の言葉に引きつけられました。(^^;ゞ

『この男性の霊人が言うには、「霊界ではすべてが自由」なのだそうです。
もしあなたが、高尚な望みをもてば、望みを実現するための手段が示され、
必要な支援や力が与えられるでしょう。

それよって、強くなることができるのです。
ところで、あなたは祈りの力について何も知りません。
いまから、それを学ばなければなりません。
この世界のすべては、熱心な祈りの結果、現れるものだからです。

あなたの欲することは善であれ悪であれ、祈りと同じ意味をもち、
その欲する内容に応じた力を呼び寄せることになるのです。』(p50)
『死後世界地図Ⅲ(全3巻)』(A/ファニース著 コスモトゥーワン刊)
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★この本の場合、「この世界のすべては、熱心な祈りの結果、現れるもの」の「この世界」とは、
「死後世界(霊界)」のことですが、これは、この世のことでもあるのです。
そして、これが果因説です。

『世界(外界)』は、三次元物質的には、因果関係(原因と結果)で変化しており、
4次元的(物質界+想念)には、果因説で変化しています。

意思(想念)が、「物質のゆくえ」を決定しているのです。

【1516】「世界人類」と「人類」の違いは何? 「私」と「私たち」の違いは何?

2008-08-09 04:06:45 | 思索
【1515】を書いていて、迷ったことがあります。(^^;ゞ
それは、「世界人類」と「人類」の違いと、「私」と「私たち」の違いです。

それぞれの言葉が、何を指しているのかが、わからなくなってきました。(^^;ゞ
「世界人類」はどこにいるのでしょうか?
「人類」はどこにいるのでしょうか?

「私たち」とは、「誰たち」のことなのでしょうか?
「私」とは、何のことなのでしょうか?

どれもが言葉(イメージ・観念)であることには、間違いがないのです。
「言葉」はいったい、何を指し示しているのでしょうか?

「言葉」は結局、自分のなかの「思い」を語っているに過ぎないのです。(^^;ゞ
ですから、この『知足日記』も、独り言です。

と言っても、人間の脳にとって共通な「言葉」に、
意味(価値)がないわけではありません。

言葉とは、「祈り」なのです。(*^_^*)

【1515】人類の平和が成就しました。(果因説とは、「祈り」である)

2008-08-09 02:55:57 | 思索
【1514】を書いていましたら、『果因説とは、「祈り」である』という言葉が浮かびました。
日本語(笑)にしますと、
『果因説的世界観は、「思い(祈り)」で成り立っている』です。
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★世界は、「果因説」で成り立っている。
「より良い世界」を築くためには、「良い思い」が必要である。
「祈り」が必要である。

世界とは、「祈り」の結晶である。
「世界人類が平和でありますように」では、果因説ではない。

私たちの「思い」は、
『世界人類は、平和である。成就 』だけで良い。

私たちは、
『人類の平和の成就』だけを思い描いていれば良い。

世界中で起こるニュース(プロセス)の一つ一つに、一喜一憂する必要はない。

『世界人類の平和が成就しました』だけで良い。(*^_^*)