『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1948】『すべて必要。すべて良し』と思えることが、「神の意識」

2009-02-13 05:55:13 | 思索
【1947】で、「この『生きていること』に、ケリを付けて、納得しておきたい』と書きました。(^^;ゞ

納得していても、納得していなくても、
「消えてゆく姿」は、順次起こり(笑)、

死ぬ時には、死ぬのですから、(^^;ゞ

人生の「幸せ感」とは、「今の自分」を、充実したものとして、
受け入れられているか否かということに尽きます。(^^;ゞ

私の場合は、「物足りなさ」があると、「充実感」を味わえません。(^^;ゞ


★けれども、すべては、外界と一体になった「自分の想い」なのですから、
本当は、「納得できるも、納得できないもない」のです。(^^;ゞ

瞬間瞬間に、「どう思っているのか!」だけが、「人生」なのです。(^^;ゞ

そういう意味では、
『人生のすべては、その時その時に、ケリがついている』とも言えます。

『人生は、瞬々刻々に、ケリがついている!』と思えることが、
「幸せ感」があり、それが「神の意識」なのです。

私たちは、「自分の想い」で、過去や未来を捕まえるので、
思い悩んで、「苦痛」を感じるのです。(^^;ゞ


★『すべて必要。すべて良し』と思えることが、「神の意識」なのです。

『すべて必要。すべて良し』と思えることが、「我即神也」なのです。

『すべて必要。すべて良し』と思える意識は、『神の立場』・『神の意識』・『絶対の立場』なのです。

瞬々のなかで、安息できていることが、『神の立場』・『神の意識』・『絶対の立場』なのです。