『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1941】「否定的な言葉」は、プロセスとして必要。成就!

2009-02-08 06:58:36 | 思索
【1933】で、「世界で一番の家内で~す」(笑)と宣言をしました。(^^;ゞ

今の自分に最適(業を消し合う)という意味では、「最愛」(笑)なのかも知れません。 (^^;ゞ


★いま、その「最愛の人」の気持ちを聴くという作業をしているのですが、

そのなかで、ついつい「否定的な言葉」に同調してしまうという事態が起きます。(^^;ゞ

単純な例では、「おいしい」と「おいしくない」です。(^^;ゞ

昨日、関西で発売された「鳴り物入りのハンバーガー」を、
家内が買ってきたので食べたのですが、「美味しくない」(無限なる可能性!)というのが、
ふたり共通の意見なのです。(^^;ゞ

すると、「思考の連鎖」が始まります。(^^;ゞ 

まず第一に、
テレビで、『とても、美味しい』とコメントしていた人への不信感が起きます。(^^;ゞ

彼らは、「ギャラのために自分の気持ち(魂)を売っている」(無限なる可能性!)となります。(^^;ゞ

テレビ番組とは、そういう「騙しの世界」(無限なる可能性!)だとなります。(^^;ゞ


そして結果的には、「テレビの情報に騙されないようにしよう」という光(真理)に、
目覚めることになります。(^^;ゞ

つまり、「否定的な言葉」は、光(真理)に気づくためのプロセスであることが、
ここで証明された(笑)のです。(^^;ゞ


上の記事を総合的に判断(笑)します(^^;ゞ

★「否定的な言葉」は、光(真理)に気づくためのプロセスとして、
「消えてゆく姿」として必要なのです。

「消えてゆく姿」なので、『消えた、消えた。成就!』と、瞬々刻々に思うことができれば、
それが、「消えてゆく姿」を行じる姿になっているのです。

そこに、『迷い』はないのです。(^^;ゞ

このことを、『自分』に実現させる方法が『起床時の呼吸法の唱名』なのです。

【1940】「人類全体の思い」が変われば、「世界」は変わるのです

2009-02-08 06:16:30 | 思索
以下も、『ニッポンの教養』の『おしゃべりな脳』(タイトル)を見て考えたことです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

人間は、「相手の思い」を想像しながら、
しゃべったり表現したりするという特性を持っています。

その構造はとても複雑です。

第一には、「相手の表情」を見ながら、どの程度理解できているのかを判断しながら、
言葉を選んで、伝えたいことを伝えようとします。

第二には、「相手が自分をどう思うか」という想像を働かせています。

同時に二つのことに留意しながら、生きているのが人間なのです。

「自分は、どう思うのか」と、「他人は、どう思うのか」のハザマで揺れているのが人間なのです。(^^;ゞ


★そういう意味では、「フィードバックの連続が自己(自分)」です。(*^_^*)

物理的には、「他者とは、フィードバックの対象」にしか過ぎません。

他者とは、「自己(自分)」を映す鏡なのです。


★しかも、誰においても、それぞれに、「他者とは、自分を映す鏡に過ぎない」のですから、

「世界」とは、強固な物質的な現象ではないのです。

互いの「思い」で築きあげた「砂上の楼閣(世界)」なのです。

「人類全体の思い」が変革すれば、「世界」は変わるのです。

【1939】内的混乱の無い人は、何もしない人

2009-02-08 05:44:43 | 思索
【1938】の続きです。

『本当のこと』があるという「思い」が、内的混乱の原因だと書きましたが、人間は、
「内的混乱」があるから、その混乱に光を当てようとして何かをするのです。

表現をするのです。

人間のあらゆる思いと行動は、内的混乱を収めたいという欲求から生じます。

内的混乱の無い人は、自分が死ぬことさえ恐れず、
いつもニコニコと笑っている人です。(*^_^*)

彼(彼女)は、自分のために何かをしようとしません。
 
*私も、そういう人になりたいのだと思いました。(^^;ゞ
「神人」は、そういう類の人だと思うのです。(^^;ゞ

*上の記事と関係がありそうな
『心を空っぽにすれば、夢が叶う』(ヨグマタ 相川圭子著)という本が、
今日、手元に届きました。(*^_^*)