とても、単純なことで恐縮ですが、(^^;ゞ
★『消えた、消えた。成就!』で、すべて解決がついていると思うのです。
『消えた、消えた。成就!』と思えない時に、「問題」が生じるのです。(^^;ゞ
★いつでも、『自分が中心である』と思っていれば良いのです。
すべてのことを決めているのは、
すべての判断をしているのは、『私』なのです。
なんでも、『自分』で選択することができるのです。
★最近、上の2つのことに気づき、 「意識」を集中できるようになりました。(^^;ゞ
『自分の中心』を定める方法は、「世界平和の祈り」・「印」・『起床時の呼吸法の唱名』です。
『自分の中心』を定めて、「自分の望む選択(『自分即神也』を顕わす選択)」をすれば良いのです。
「自分が望む選択」が何であるのかは、「自分」に訊けばよいのですが、
それは「間違ってもよい!」(笑)のです。
というか、「間違いはない!」のです。(^^;ゞ
なぜなら、あらゆる『経験』には意味があるからです。(^^;ゞ
この場合も上と同様に、『あらゆる経験は意味がある(「すべて必要。すべて良し」)』と思えないときに、脳が「問題」だと思うのです。(^^;ゞ
所詮、『すべては経験! 経験がすべて!』なのですから、「なんでもあり」なのです。
『経験の内容』に執われる必要はないのです。(^^;ゞ
あらゆる『経験』は、「消えてゆく姿」ですから、把らわれなくても良いのです。
どのような『経験』でも、有難いことなのです。
『神は、全肯定』なのです。