図書館に予約をしてあった『知ることより 考えること』(池田晶子著・2006刊)を取りに行ったとき、
偶然に『人は、はるか銀河を越えて』(坂本政道著・講談社2005刊)という本が目に入りました。
読んでみると、とても良い本でした。(*^_^*) 読後に、短い文章が浮かびました。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
【私の意識とは、何か?】
私たちは、すぐに、「他者の意識」のことを、あ~だ、こ~だと考えるけれども、
そう考えているのもまた、「私の意識」なのである。
「他者の意識」が、 客観的に存在しているのではないのである。
あくまでも、自分の観ている「他者の意識」なのである。
私とは、「意識」である。
ただ、ただ「意識」である。
ただただ、「統一」が出来て、「自分の想い」を手放して生きられれば良いのである。
それが、無為自然であり、老子の生き方である。
「寒い」と思っても、「暑い」と思ってもよいのである。
把われなければ良いのである。
言葉のイメージや感覚に、把われる必要はないのである。
「教え」に、把われる必要はないのである。
「把われる必要がない」ことにも、把われる必要はないのである。(*^_^*)
すべては、人類という生存の中にある「私の意識」なのである。
体外離脱の世界
偶然に『人は、はるか銀河を越えて』(坂本政道著・講談社2005刊)という本が目に入りました。
読んでみると、とても良い本でした。(*^_^*) 読後に、短い文章が浮かびました。(^^;ゞ
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【私の意識とは、何か?】
私たちは、すぐに、「他者の意識」のことを、あ~だ、こ~だと考えるけれども、
そう考えているのもまた、「私の意識」なのである。
「他者の意識」が、 客観的に存在しているのではないのである。
あくまでも、自分の観ている「他者の意識」なのである。
私とは、「意識」である。
ただ、ただ「意識」である。
ただただ、「統一」が出来て、「自分の想い」を手放して生きられれば良いのである。
それが、無為自然であり、老子の生き方である。
「寒い」と思っても、「暑い」と思ってもよいのである。
把われなければ良いのである。
言葉のイメージや感覚に、把われる必要はないのである。
「教え」に、把われる必要はないのである。
「把われる必要がない」ことにも、把われる必要はないのである。(*^_^*)
すべては、人類という生存の中にある「私の意識」なのである。
体外離脱の世界