『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【860】唯脳論ではなくて、唯脳法

2006-12-16 22:19:00 | 思索
以下の文章は、『知ることより 考えること』のなかの「脳には何もわからない」(P153)の内容を
参考にしながら、波動ブームについて、私なりに考えたことです。

2001年に『こころの時代』(NHK教育)で1年間、『心の神秘を解く』という唯識思想をテーマにした番組がありました。初回に講師のかたが、『仮に、「心しかない」として、世界を解明すると』と言ったことを今でも憶えています。

養老猛司氏の唯脳論も、ただ「脳がある」「脳しかない」という意味ではなくて、
脳しかない「ということにして」、論を進めるものであり、唯脳論ではなくて、唯脳法なのです。
考えるための一つの方法なのです。←哲学的には、「科学」もまた、考えるための一つの方法(存在解釈の物語)ということになります。(^^;ゞ

脳しかない「ということにして」、論を進めるのは、物質としての脳から、非物質の意識が「生じた」など言えるはずがないからです。

意識とは、そこにおいて認識の一切が成立している、世界そのものであり、
脳についての認識すら、意識なのか脳なのかは、ニワトリとタマゴである。
どちらとも言えないのである。

だから、養老氏は、とりあえず起点を脳「ということにして」考えるいう方法をとったのである。
ゆえにこれは、科学とも呼べない。

目に見えない「意識」が、物質にどのような影響を与えることができるのか?
これは、とても難しい問題です。

このことを、今までの私は「信じる人には、現れる」(主観即客観)と表現してきましたが、
飛鳥さんの教えてくれたサイトにある「波動を利用した商品」ということになりますと、
「信じる人には現れる」というわけにもいかないと思うのです。(^^;ゞ

★18日(月)の『視点・論点』(午後10時50分~)は、『蔓延するニセ科学』(菊池誠氏)だそうです。