『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【720】日々精進(*^_^*)

2006-08-19 22:19:56 | 思索
『他人からどのように思われのるかは、考えなくてもよい』などと書きますと、
不遜に聞えるかも知れませんが、反対でして、
『他人からどのように思われのるかは、考えなくてもよい』からこそ、日々精進なのです。(^^;ゞ

『他人からどのように思われのるかは、考えなくてもよい』ということは、
自分の行動の責任は、自分でとるということなのです。

「自分の行動の全責任は、自分でとる」となると、自分に向き合わざるを得ません。
自分の行動の結果を、他人の助言のせいには出来ないのです。

それで自然に、「自分の責任で、自分の道を歩むという覚悟」が生まれ、
コツコツと精進しながら、自分の道を歩むことになります。

「精進」というと、抹香くさい感じですが、(^^;ゞ
「祈りの生活」には、落ち着いた歓びがあるのです。

【719】他人からどのように思われるかは、考えなくてもよい(*^_^*)

2006-08-19 21:53:04 | 唯識
「自己イメージ」が大切だということは、誤解を承知で言えば、
「他人からどのように思われるのかは、考えなくてもよい」(笑)ということでもあります。(^^;ゞ

自分とは、「自分のイメージ」を生きて存在なのですから、構造的(笑)には、
人間は本来、「絶対に自由な存在」なはずなのです。(*^_^*)

それなのに、窮屈に考えて、把われてしまうのには、主にふたつの要因があります。

ひとつは、「他人からの評価」を考え過ぎてしまう場合であり、もうひとつは、
「自分の理想像」と今の自分のギャップを考え過ぎてしてしまう場合です。

そのような場合には、私たちは「いのち」の輝きを失っています。(^^;ゞ

「他人からの評価」にも「自分の理想像」にも、把われてはいけないのです。
大切なのは、「自分の今のいのち」に目覚めていて、輝かせることなのです。

「自分のいのちを、輝かせる」というと抽象的ですが、要するに、
「今、やるべきことを、一生懸命にしっかりとする」ということです。

大切なことは、何事にも、「把われない」ことです。(*^_^*)

■以前に、「過去はない」と書きました。

けれども、私たちに、「過去」がないわけではないのです。だれにも、「過去」はあるのです。
「過去はある」けれども、その「過去」に把われるないことが大切なのです。

「過去」はあるけれども、それは、私たちの記憶(思い)のなかにあるのであって、
「実体」としては、もう済んでしまっているのだから、「把われるな!」と自分に言い聞かすことが大切なのです。
「過去」に把われていると、「今の生命」が輝かないのです。

「教えに把われない」ことも、「自分のいのち」を輝かせるためには,必要なことです。