【703】の『結果は、後でわかること』というのは、先日聴いた「白光」の古い講話テープにありました。
これは、「神(全体性)がいるかどうかは、後でわかる」という意味だと思うのです。(*^_^*)
「後で、解かる」ということは、「今は、解からない」ということです。
「今は、解からないけれども、後で、解かる。その時に、神(全体性)がいることが判る」ということなのでしょう。
そして、このことの全体、つまり「神(絶対者)」が居るのだから、「後には、善くなる」「祈っているのだから、良くなる」と、出来事の途中で思えることが、「神を信じている」ことなのです。
けれども、「万事は、塞翁が馬」ですから、「良い」と思えた後にも、また別の不都合がやってきます。
ですから、「人生」とは、継続的に「神(全体性)」を信じて、日々を過ごしてゆくこと。
これが信仰心を持った人の生き方のようです。(*^_^*)
遠藤周作さんの『沈黙』もこのようなテーマだったと思います。
私たちは、「『神(全体性)』とは何か?」と問う存在ではなくて、
神(全体性)から、『あなたとは何か?』と問われている存在のようです。(^^;ゞ
これは、「神(全体性)がいるかどうかは、後でわかる」という意味だと思うのです。(*^_^*)
「後で、解かる」ということは、「今は、解からない」ということです。
「今は、解からないけれども、後で、解かる。その時に、神(全体性)がいることが判る」ということなのでしょう。
そして、このことの全体、つまり「神(絶対者)」が居るのだから、「後には、善くなる」「祈っているのだから、良くなる」と、出来事の途中で思えることが、「神を信じている」ことなのです。
けれども、「万事は、塞翁が馬」ですから、「良い」と思えた後にも、また別の不都合がやってきます。
ですから、「人生」とは、継続的に「神(全体性)」を信じて、日々を過ごしてゆくこと。
これが信仰心を持った人の生き方のようです。(*^_^*)
遠藤周作さんの『沈黙』もこのようなテーマだったと思います。
私たちは、「『神(全体性)』とは何か?」と問う存在ではなくて、
神(全体性)から、『あなたとは何か?』と問われている存在のようです。(^^;ゞ