韓白文化財研究院と芸脈文化財研究院は22日、華川居礼里遺跡を調査し、青銅器住居跡とその関連竪穴遺構合わせて約380基、同時代の周溝石棺墓1基、新石器住居跡1基、三国時代横穴式石室墳1基など約400基の遺構を確認したと発表した。
特に21号住居跡は長さ26.3m、幅9.3m、内部面積244㎡(74坪)の大型で、忠南燕岐郡幸福都市予定地で発掘された長さ32.6m、幅9.4m(93坪)に続いて2番目の大きさであった。
時期は、内部から石床囲石式炉跡や突帶文土器をはじめとする多様な遺物が出土し、青銅器時代早期に属するとみられる。
[参考:聨合ニュース]
過去の関連ニュース・情報
2010.12.7 華川・居礼里遺跡 青銅器時代の多数の住居跡と百済墓とみられる三国時代横穴式石室墳1基が見つかる
2010.11.4 華川・原川里遺跡 住居跡から馬具類・武器類が多量に出土、大規模百済の村遺跡は辺境前哨基地?
2010.9.15 華川・原川里遺跡 200年代の大規模百済の村遺跡を発掘
コメント
原川里遺跡は、3-4世紀頃漢城百済期には華川一帯は、北あるいは西北側の楽浪、高句麗、靺鞨との境界地域であり、百済の西北方地域進出のための橋頭堡(きょうとうほ)であり、軍事前哨基地であった可能性があるとしていた。
居礼里遺跡は、原川里遺跡に対して北漢江の東の対岸にあり、東南方向に約2.5kmの距離にある。主に青銅器時代前期~中期の遺構が多いが、三国時代横穴式石室墳1基が見つかっている。これは百済墓である可能性が高いとしている。
特に21号住居跡は長さ26.3m、幅9.3m、内部面積244㎡(74坪)の大型で、忠南燕岐郡幸福都市予定地で発掘された長さ32.6m、幅9.4m(93坪)に続いて2番目の大きさであった。
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