歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

京都市上京区・相国寺 応仁の乱時の焼瓦が多数出土

2011年06月09日 | Weblog
 同志社大と市埋蔵文化財研究所が9日、1月から行っている相国寺(京都市上京区)西側の発掘調査で、応仁の乱(1467~77年)から戦国時代にかけて造ったとみられる堀の跡や、焼瓦が多数見つかったと発表した。
 相国寺は足利義満が1382年に創建したが、応仁の乱では一帯が焼け野原になった。 現地は、同志社大学大烏丸キャンパスの予定地(建設中)で、相国寺の旧境内にあたる。
 15世紀の溝跡で、瓦片が多数出土。 応仁の乱(1467-77)で焼けた瓦葺き建物仏堂のものだった可能性が高いという。
 16世紀の堀跡が計6本見つかった。 最大のものは南北方向に長さ約70m、幅4m、深さ2m。掘った土を盛り土とし、高さ4mの土塁を築いた。旧境内の塔頭を囲む防御用と考えられるという。
 堀跡の東側で、15世紀以前の創建時に近い礫敷(れきじき)道路を長さ16m、幅5mにわたり確認。 これまでの調査と合わせ、総延長は400m以上と推定。
 現地説明会が6月11日(土)午後2時から4時まで開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、京都新聞、同志社大学キャンパス整備事業埋蔵文化財発掘調査HP]

過去の関連ニュース・情報
 相国寺関連

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橿原市・五井遺跡 古墳時代前期~中期の集落跡が出土

2011年06月09日 | Weblog
 橿原市教委の調査で同市五井(ごい)町の五井遺跡から、半世紀以上にわたって人々が定住していたことがうかがえる古墳時代前期~中期(4世紀)の集落跡が見つかった。
 川跡のほとりで、竪穴住居跡8棟(4.5~5.5m四方)、井戸跡3基を確認し、川跡からは甕、壺、鉢などの土器が数千点見つかった。
[参考:読売新聞]

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする