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岐阜県養老町・象鼻山古墳群 5世紀後半頃の円墳2基を確認 300年以上にわたり造墓

2011年02月09日 | Weblog
 養老町教育委員会は8日、象鼻山(ぞうびさん)古墳群(同町橋爪)の第5次発掘調査の結果、象鼻山(標高142m)が300年以上にわたって、70基の墳墓が造られた「聖地」だった可能性があると発表した。
 同古墳群は濃尾平野を中心とした複数の集団の統率者らを埋葬したと考えられている。これまでの調査で、墳墓は2世紀中頃(弥生時代後期)から造られ始め、その半数は2世紀中頃から後半頃に集中し、山頂部からは3世紀後半頃の墳墓も見つかっていた。
 しかし、今回の調査で、標高約80mの中腹にある墳墓2基(51・53号墳)が5世紀後半頃(古墳時代中期末)に造られたと判明。ともに、直径約14mの円墳とみられる。 これまでの整地をした後に盛り土して築造したのと違い、地形を活用し土木量を抑えた方法で築造していた。 さらに、この2基を含め周辺に同じ時期に造られた墳墓が約10基あり、新しい墳墓は、過去の墳墓を避けて造られていたことがわかった。 また、筒形器台や高杯、蓋などの須恵器片が出土している。
 11日(金・祝)13:00~16:45に養老町民会館(同町石畑)で「邪馬台国時代の象鼻山―古墳出現の背景を探る―」と題してシンポジウムが開かれる。
 また、19日(土)午後1時~3時、現地説明会が開かれる。
[参考:読売新聞、毎日新聞、中日新聞、岐阜新聞、養老町教育委員会HP]

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 2010.11.27象鼻山古墳群 弥生後期築造の2基を新たに確認、同古墳群の築造は2世紀に集中
 2010.9.15象鼻山古墳群 2世紀後半の方墳と円墳を発掘調査

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