歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

奈良市・平城宮跡 東方官衙地区で「豊嶋郡大領大伴直宮足」名木簡が出土

2010年07月22日 | Weblog
 奈良文化財研究所が21日、同市佐紀町の平城宮跡東方官衙地区で、続日本紀に登場する「大伴直宮足」名の木簡が見つかったと発表した。
 木簡(長さ96mm、幅18mm、厚さ6mm)は、礎石建物の下の整地土から見つかった。「豊嶋郡大領大伴直宮足書」と記され、武蔵国豊嶋郡の大領(郡司)だったことが明らかになった。木簡の上端両側に切り込みがあった。
 続日本紀、神亀元年(724)2月《廿二》には「天皇臨軒。(略)外從八位上大伴直宮足等。獻私穀於陸奧國鎭所。並授外從五位下。」と記され、外従八位上だった大伴直宮足が、陸奥国鎮所(多賀城)に「私穀」を献上した功績で外従五位下に昇進したことがわかる。
 この他にも、続日本紀に登場する名の木簡が2例見つかっている。
 ひとつは、天武天皇の皇子で、日本書紀編纂に携わったとされる舎人親王(676~735)で、勤務評定とみられる木簡に書かれていた。本人ではなく従者の勤務評定の可能性が高いという。舎人親王の名の上に「一品」という位を表す文字があり、続日本紀養老二年(718)正月《丙申朔五》には「詔授二品舍人親王一品」と記され、718年に一品(ほん)になっているため、同年以降735年に亡くなるまでに書かれた木簡とみられる。
 もうひとつは、安倍他田朝臣麻呂(あべのおさだのあそんまろ)で、上記と同様に勤務評定とみられる木簡に書かれており、続日本紀養老元年(717)八月《戊辰朔三》には「正三位安倍朝臣宿奈麻呂言。正七位上他田臣萬呂。本系同族。實非異姓。追尋親道。理須改正。請賜安倍他田朝臣姓許之。」と記され、717年に「安倍他田朝臣」の姓を与えられたとされているため、それ以降に書かれた木簡とみられる。
[参考:奈良新聞、毎日新聞、NHK大阪、読売新聞、朝日新聞]
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北九州市・城野(じょうの)遺跡 弥生時代の石棺に人物像

2010年07月22日 | Weblog
 城野遺跡(同市小倉南区)では昨年、同市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室が発掘調査を行い、弥生時代終末期(3世紀前半ごろ)の方形周溝墓から子供用の石棺が見つかった。
 その後、石棺の調査を進めたところ、石棺の内側には赤い顔料が塗られ、頭側の板に、大きさ約20cmの人物の上半身が薄く彫り込まれていた。右手に武器(戈?)、左手に盾のようなものを持っている。胴体には格子模様、顔には複数の目のような表現があるという。
 古代中国の呪術師「方相氏(ほうそうし)」ではないかとの指摘も出ている。
 近く、石棺の一部を現場から屋内に移し、調査を続ける予定という。
[参考:朝日新聞]

過去のニュース・情報
 2009.11.17城野遺跡 九州最大級の「方形周溝墓」が発掘
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高槻市・高槻城 二ノ丸跡で巨大な堀跡が出土

2010年07月22日 | Weblog
 高槻市教委は21日、戦国時代にキリシタン大名・高山右近(1552~1615)が築いた高槻城二ノ丸跡で、巨大な堀跡(幅19m以上、深さ1・5m以上、東西方向27m分)が出土したと発表した。
[参考:読売新聞]
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