歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

藤岡市・矢場三ツ橋Ⅱ遺跡 元代の白磁碗が出土

2010年07月23日 | Weblog
 群馬県埋蔵文化財調査事業団が発掘を進める「矢場三ツ橋Ⅱ遺跡」(藤岡市矢場)で、6月に元代(1271-1368)の白磁の碗がほぼ完全な状態(直径約15cm、高さ約6cm)で出土した。群馬県埋蔵文化財調査事業団HPには、口縁の釉が剥がされて焼かれた碗としている。(注1)
 室町時代に関東管領(注2)だった上杉氏が城主の平井城跡が遺跡の西約1.5kmのところにあり、関係する有力な領主が所有した可能性がある。
 遺跡からは「V字形」で、上部の最大幅が約8m、最深部が約2mの溝跡が六本出土し、井戸跡や柱穴も多数出ており、鎌倉から戦国時代にかけての堀を巡らせた館跡の可能性が高い。(注3)
 東京新聞では、「矢場三ツ橋Ⅱ遺跡の一帯は、源平合戦や南北朝の動乱などで活躍した武士団、高山氏(注4)の拠点。館跡は高山氏との関連が想起される。白磁の碗は高山氏が入手したか、同氏に上杉氏が褒美に与えた可能性がある」としている。
[参考:東京新聞、群馬県埋蔵文化財調査事業団HP]

(注1) HPで見ると、口縁は外側に広がりを見せている。その部分が、丸々釉薬が剥がされている感じだ。
(注2) 応安元年(1368年)武蔵平一揆の際に、高山重康らは河越直重に加わるが、乱は関東管領上杉憲顕により鎮圧される。以降は上杉氏の家臣として仕える。
(注3) 中世の館跡と思われる方形に巡る堀とみられている。
(注4) 秩父重綱の3男・重遠が武蔵国高麗郡高山邑(現在の埼玉県飯能市高山)に住んで高山氏を名乗る。ほかに、長男・重弘は畠山氏(3代目が重忠)、2男・重隆は河越氏(2代目が重頼)、4男重継は江戸氏を興す。

過去の関連ニュース・情報
 2009.5.21 豊島区 瑞鳳山祥雲寺(曹洞宗)


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和泉市・和泉寺跡 鎌倉~室町時代の600個以上の柱穴が見つかる

2010年07月23日 | Weblog
 府教委の調査により、和泉寺跡(同市府中町)で鎌倉~室町時代(13世紀~15世紀)の庶民の住居跡とみられる多数の建物跡が見つかった。建物に関連する柱穴は600個以上もあり、柱が密集して立てられたのは、建物が同じ場所で何度も立て替えられたためという。
 現地公開が23、24両日の午後1時から行われる。
[参考:産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2010.3.25 和泉寺跡 8世紀前半に泉南を統治した地元豪族名「珎縣主」の瓦が出土
 2009.11.27 和泉寺跡 寺院を裏付ける人名瓦「坂合部連前」が出土


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小田原市・石橋石丁場群玉川支群遺跡 江戸城修築時の石材割り出し作業場遺構

2010年07月23日 | Weblog
 かながわ考古学財団は今年4月から発掘調査を進める石橋石丁場群玉川支群遺跡(小田原市早川ほか)で、江戸時代初めに行われた江戸城修築時の石材を割り出した作業場と推定される遺構を見つけた。
 石丁場とともに出土した安山岩の石材は幅1m以上の大きさで、「矢穴」や、石丁場の運営者を示す刻印が残されている。
 見学会が24日(土)午前10時から計7回開かれる。1回約40分間。JR早川駅から見学者用の無料送迎バスが出る。
 見学会ではパネルなどを展示し、この石丁場や石材について解説する。
[参考:神奈川新聞、(財)かながわ考古学財団HP、小田原市HP]



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