奈良文化財研究所は1日、藤原宮跡(694~710年)で天皇の即位に伴う重要儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」が行われた「大嘗宮(だいじょうきゅう」の一部とみられる建物跡などが見つかったと発表した。大嘗宮は過去に平城宮跡で確認されているが、藤原宮跡では初めてで、国内最古となる。
発掘調査は4~6月、朝堂院の広場「朝廷」の約1500㎡で実施。東西12m(5間)、南北3m(1間)の建物跡と、それを取り囲む外塀跡、内部を区画する四つの内塀跡、二つの門跡が確認された。
大嘗宮は、東側の悠紀院(ゆうきいん)と西側の主基院(すきいん)の2つの斎場からなり、見つかった遺構は悠紀院の北半分にあたる。建物跡は儀式用の穀物を準備する膳屋(かしわや)にあたるという。
天皇は毎年11月、神に新穀を供えて収穫を感謝する祭り「新嘗祭(にいなめさい)」を行っていた。天皇が即位後に最初に行う「新嘗祭(にいなめさい)」を「大嘗祭」とし、儀式を行う仮設建物の大嘗宮が造られ、終了後は解体された。
日本書紀などから、大嘗祭の儀式は天武~持統朝(673~697年)に整備されたと推定され、藤原宮では文武天皇(697年即位)と元明天皇(707年即位)が即位し、大嘗祭を営んだことが続日本紀に記されており、今回の遺構は、いずれかの大嘗宮だった可能性が高い。
一方、平城宮跡(710~784年)の朝廷では、6代の天皇の大嘗宮跡が確認されている。
現地見学会は3日(土)午後1時半に開かれる。
[参考:産経新聞、毎日新聞、時事通信]
発掘調査は4~6月、朝堂院の広場「朝廷」の約1500㎡で実施。東西12m(5間)、南北3m(1間)の建物跡と、それを取り囲む外塀跡、内部を区画する四つの内塀跡、二つの門跡が確認された。
大嘗宮は、東側の悠紀院(ゆうきいん)と西側の主基院(すきいん)の2つの斎場からなり、見つかった遺構は悠紀院の北半分にあたる。建物跡は儀式用の穀物を準備する膳屋(かしわや)にあたるという。
天皇は毎年11月、神に新穀を供えて収穫を感謝する祭り「新嘗祭(にいなめさい)」を行っていた。天皇が即位後に最初に行う「新嘗祭(にいなめさい)」を「大嘗祭」とし、儀式を行う仮設建物の大嘗宮が造られ、終了後は解体された。
日本書紀などから、大嘗祭の儀式は天武~持統朝(673~697年)に整備されたと推定され、藤原宮では文武天皇(697年即位)と元明天皇(707年即位)が即位し、大嘗祭を営んだことが続日本紀に記されており、今回の遺構は、いずれかの大嘗宮だった可能性が高い。
一方、平城宮跡(710~784年)の朝廷では、6代の天皇の大嘗宮跡が確認されている。
現地見学会は3日(土)午後1時半に開かれる。
[参考:産経新聞、毎日新聞、時事通信]