歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

向日市・長岡宮跡 内裏跡から甲冑の一部「小札」が30点出土

2010年02月18日 | Weblog
 市埋蔵文化財センターが18日、長岡宮跡(784~794年)で天皇が居住した「東宮」の中枢部に当たる内裏跡の脇殿基壇の切石の抜き取り穴から、6世紀末~8世紀末とみられる甲冑の部品「小札(こざね)」約30点(27枚分)が見つかったと発表した。皇位を象徴する御物として甲冑が約200年にわたって伝えられ、内裏で保管されていた可能性があるとしている。
 小札は短冊形の薄い鉄板で、小さな穴を開けてひもで1000枚前後をつなぎ合わせ、胴などを守る甲冑の部品。胴体本体のほか付属具の手甲か肩甲とみられる小札もあった。
 最小で1cm四方、最大で長さ9cm、幅2cm。厚さはいずれも2mm以内。大きさなどから、6世紀末から8世紀後半にかけての4時期に分けられる。X線写真を解析した結果、小札同士を結ぶ組紐や革付きのものもあり、形や大きさ、穴の配列などから8タイプに分類できた。
 ほかの遺跡の小札を基に製造年代をみると、6世紀末~7世紀後半と8世紀前、中、後期の計4期に分かれた。藤ノ木古墳や飛鳥寺、東大寺大仏殿で発見されたり正倉院が所蔵する御物と同じものもあり、ほとんどが伝承品と分かった。ほかにも、地方からの貢ぎ物とみられる小札も確認された。
 さらに今回、小札が「脇殿」遺構から出土したことで、これまで文献で武具の収納庫とされていた脇殿の用途が初めて裏付けられたとしている。小札は、平安遷都に伴い長岡宮を解体するため「東院」に移った際、脇殿を解体してその遺構内に埋めたとみられる。
 19日から4月25日まで、向日市の市文化資料館で開く「新発見の考古資料展」で公開する。
[参考:読売新聞、共同通信、京都新聞]

天皇のよろい部品見つかる 京都・長岡京跡(共同通信) - goo ニュース
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浜松市・稲荷山古墳 大和と共通する造り方、市指定史跡へ

2010年02月18日 | Weblog
 浜松市文化財保護審議会は17日、古墳時代中期前半(5世紀前半)の稲荷山古墳(同市浜北区内野)を市指定史跡に上申する。教育委員会の審議を経て3月中に正式指定される。
 一昨年の試掘調査では、二段上の墳丘(2段築成)が確認され、人工造成の二段目に並んだ葺き石は、関西の大型前方後円墳と同様の工法を用いたことが判明。大和との係わりを示す構造は、市内に残る古墳の中でも珍しいという。
 段の間には平坦面(テラス)がみられたが、残念ながら埴輪は見つかっていない。
 稲荷山古墳は直径37m、高さ4・3mの円墳。三方原台地東縁にある内野古墳群の一つ。南側近くの県指定史跡・赤門上古墳(注1)の埋葬者に続き、天竜川平野を治めた首長を葬ったとされる。
 円墳としては市内で3番目の大きさ。墳頂部は盗掘などで壊された形跡がなく、埋葬品が眠る可能性もある。葺石などは調査後、埋め戻してある。
 史跡指定後は現地で見学会を開く予定。
[参考:中日新聞、浜松市HP→浜松の文化財]

(注1)赤門上古墳(浜松市浜北区内野)
前方後円墳、全長56.3m、後円部の直径36.2m、高さ4.9m、前方部は幅14.7m、高さ1.15m。後円部が北。
築造: 4世紀後半または末
出土品: 後円部よりクスノキ製木棺(全長5.58m)、副葬品として内部より華紋日月天王四神四獣鏡(三角縁神獣鏡、椿井大塚山古墳や佐味田宝塚古墳と同范)、銅製の鏃、剣、直刀、鉄製の斧頭、鉄製の鍬、鉈など金属製品が多数発掘されている。
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大津市・穴太遺跡 古墳時代後期の大壁造り建物2棟などの跡が出土

2010年02月18日 | Weblog
 市教委が17日、縄文―平安時代の複合遺跡・穴太(あのう)遺跡(大津市穴太2丁目)で、朝鮮半島から伝来したとされる古墳時代後期(6世紀中―後期)の大壁造り建物2棟などの跡が見つかったと発表した。
 大壁造り建物は、建物の周囲を巡る溝に柱を何本も立て、柱を芯にして土壁を塗り込める工法。
 同遺跡では、これまでにも同形式の建物跡や暖房装置・オンドルなどが多く検出されており、渡来人が広範囲に集落を営んでいたことを裏付ける発見としている。
 柱材計11本と溝が見つかった。建物跡1棟は9m四方とみられ、溝には柱が7本、ほぼ完全な形で残っていた。2棟は溝などが重なっており、建て替えられたとみられる。朝鮮の特徴を持つ移動式の竈や甕など土器の破片も多数見つかった。
 このほか、掘立柱建物跡1棟も検出。大壁造り建物と同時期で、用途や身分によって建物を使い分けていた可能性があるという。
 同遺跡を含む大津市坂本―錦織にかけての比叡山麓は、同時期の古墳の密集地域。横穴式石室の形をドーム状にしたり、炊飯具のミニチュアを副葬したりするなど全国的にも珍しい特徴があり、渡来人との関係が深い地域とされる。
 大壁造りは滋賀や奈良で100例ほど確認されているが、渡来人の集住地とされる限られた地域でしか見つかっていない。密閉性の高い様式で日本には向かず、渡来人も来日直後に住んだ地域にしか作らなかったのではとみている。
 約400m東には、飛鳥時代の創建とされる国史跡・穴太廃寺跡もある。
 現場説明会が21日(日)午後1時半に開かれる。
[参考:読売新聞、京都新聞、毎日新聞]



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市川市・北下遺跡 下総国分寺近くで祭祀跡を発見

2010年02月18日 | Weblog
 千葉県教育振興財団文化財センターにより発掘調査が行われている市川市国分の北下遺跡で、千年以上前の人々の祭祀跡が豊富に発見された。
 西に300mのところには奈良時代に創建された下総国分寺があり、約40m離れたところには昭和40年代にその瓦を焼いた下総国分寺瓦窯跡が見つかっている。
 今回の調査では昨年10月から古代に国分川が流れていたと見られる湿地帯の地下3mほどを発掘している。木製品なども良好な状態で見つかった。
 皿や椀、杯、斎串(いぐし)、人形(ひとがた)など祭祀に使われる道具のほか、大量の瓦も出土した。国分寺、尼寺の特徴である宝相華文のくっきり残った軒丸瓦、失敗したらしい平瓦の塊や墨書土器も見つかった。
 川沿いのこの付近が、下総の国の祭祀とかかわりが深い場所だと確認できたという。大量の瓦が「失敗作」として捨てられたのか、儀式で使われたのかは、今後の研究課題とする。
見学会は20日午前11時から午後2時に開かれる。午前11時、同11時45分、午後0時15分、同1時、同1時45分にそれぞれ15分程度の解説がある。出土品の展示もある。
[参考:朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2004年10月 2基の窯跡(登り窯1基、平窯1基)が発見され、窯跡と同じ台地斜面の下部より青銅の鋳造遺構が確認された。
 2005年度 鋳造遺構を調査した結果、奈良時代8世紀後半に下総国分寺の梵鐘を製造した遺構であることを確認した。



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