歴歩

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淡路市・垣内遺跡 出土した土器の復元から丹波との交易浮上

2010年02月15日 | Weblog
 弥生時代後期の鍛冶工房跡とみられる「垣内遺跡」(同市黒谷)から出土した土器の復元作業の結果、垣内の工人たちと丹波地方の人たちとの交易が浮かび上がってきた。
 遺跡からはコンテナ約200箱に上る土器のかけらが見つかっており、市埋蔵文化財事務所で復元作業が進められている。これまでに高坏や甕、壺が昔の姿を取り戻した。
 昨年8月、3か年計画で県の「垣内遺跡調査研究プロジェクト」が発足。今月4日、全体検討会が開かれ、石野博信・県立考古博物館長や村上恭通・愛媛大教授(冶金考古学)ら8人が参加し復元作業を見学した。
 その際、メンバーが一つの高坏に注目し、「土が違う。これは丹波系」と、形状などを詳細に確かめた。鉄素材の輸入ルートとして朝鮮半島からの直接ルート、九州や瀬戸内経由のほかに、日本海ルートも今後、検討する必要が出てきた。
 当日の全体会では、土器に年代幅があるという意見で一致し、市教委が述べてきた1世紀中頃~3世紀初めにまたがる遺跡であることを確認した。今後は23棟の竪穴建物跡ごとに遺構面と上層面で、高坏やt壺や甕などそれぞれの出土状況と年代を分け、各建物が使われた年代の変遷を探る方針だ。
[参考:読売新聞]

過去のニュース
 2010.1.28 垣内遺跡 08年度に出土した鉄製品(板状鉄斧)は朝鮮半島南部製か
 2009.6.26 垣内遺跡 保存のため埋め戻し始まる
 2009.4.4 垣内遺跡 国内最大の弥生後期の鉄器工房


キーワード: 五斗長垣内遺跡

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盛岡市・川目A遺跡 土偶700点を発掘 男性風土偶も出土

2010年02月15日 | Weblog
 岩手県埋蔵文化財センターが13日遺跡報告会で、盛岡市川目の川目A遺跡で土偶約700点を発掘したと明らかにした。
 これほどの数の土偶が一遺跡で発掘されるのは、三内丸山遺跡(青森県)や釈迦堂遺跡(山梨県)など、県内では北上市の九年橋遺跡と少ない。
 センターが2006~09年に行った同遺跡の第5次調査で、縄文時代後期から晩期(約4000年~2500年前)の遺跡と判明し、石器類約6万点、土器類約10トンなど膨大な出土品が見つかった。
 発掘された土偶は、板状土偶や遮光器土偶などの全体もしくは一部で、最大で全長20cmほど。男性風土偶は、腹からひざ部分の下半身で長さ7cmほど。土偶は全国で1万点以上発見されているが、ほとんどが女性がモデルと見られ、男性土偶は花巻市の石鳩岡遺跡や北海道千歳市のウサクマイ遺跡などで出土しただけという。
 川目A遺跡では、石群が半円状に並ぶ配石機構、土偶や非実用的な石器が多数発見。一方、住居が2棟と少なく居住地から独立した葬儀や祭祀の場に特化されていた可能性があるという。
[参考:読売新聞]

過去のニュース・情報
2005年 9月 5日 (月) 盛岡タイムスより
 川目A遺跡は簗川南岸の狭い平坦面に立地している。縄文時代晩期の配石遺構(ストーンサークル)32基。お墓跡と考えられる土坑が83基確認されている。
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