歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

東京・練馬区 谷原の庚申塔 練馬区の区登録文化財に

2010年02月20日 | Weblog
 練馬区教委は徳川家光の朱印状を含む「愛染院文書」を区指定文化財に、ケヤキの大木に囲まれた「井口家の屋敷林」(立野町)、丸山東遺跡(豊玉北6丁目)出土の石棒(縄文時代中期)、谷原の庚申塔(1709年建立、富士見台4丁目)の3件を区登録文化財に加えた。
[参考:産経新聞、東京新聞]

 早速、行ってきました。江戸時代に創建された稲荷神社(富士見台3-42)のすぐ近くに、その庚申塔(写真)があります。
 総高150㎝、塔身高さ90㎝、幅34㎝、奥行き24㎝。塔身部・笠部・頂部の3つの石(安山岩製)からなります。正面には青面金剛立像が、右側面には地蔵菩薩立像、左側面には阿弥陀如来立像が浮彫りされています。さらに文字としては、正面右側には「奉造立青面金剛現當二世祈所」、左には「宝永六己丑天 十月吉祥日」「願主 観照院」が、また右側面には「武州豊嶋郡谷原村」、左側面には「庚申講結衆二十二人」が刻まれています。
 宝永六年とは1709年であり、観照院とは江戸名所図会にも登場する長命寺(現高野台3-10)の塔頭の一寺(19世紀初めまでに廃寺)です。
 長命寺の現在の正式名称は「東高野山妙楽院長命寺」ですが、旧名称(1640年)は「谷原山(こくげんざん)妙楽院長命蜜寺」と号したそうです。
[参考:練馬区HP、江戸名所図会、新編武蔵風土記稿]
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高島市・天神畑遺跡 金剛般若波羅蜜経38枚を含む「こけら経」115枚が見つかる 「見せ消ち」も初確認

2010年02月20日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会が19日、高島市鴨の天神畑遺跡から細長く薄く剥いだ木の板に経典が墨書きされた「こけら経」115枚が見つかったと発表した。15~16世紀の室町期のものとみられ、バラエティー豊富に7種類の経典などが書かれていた。中国の禅宗で重んじられたとされる経典「金剛般若波羅蜜経(金剛般若経)」が書かれた全国でも珍しい38点も含まれており、「妙法蓮華経(法華経)」が69点、ほかに5種8点があった。
 金剛般若経記載の「こけら経」出土は柳遺跡(滋賀県草津市)、清洲城下町遺跡(愛知県清須市)に次いで3例目という。
 県内には中国の僧が開いた東近江市の永源寺があり、また比叡山がある湖国の仏教文化の多様性を示す今回の「こけら経」の発見は中国仏教の強い影響を受けた当時の地域性が伺え、「こけら経」の役割を知る上で貴重な発見であり、禅の文化の広がりを裏付ける貴重な資料としている。
 高島市鴨にある天神畑遺跡は、縄文時代から中世にかけての複合遺跡で、「こけら経」は2009年2月、天神畑遺跡東側の中世後半の時代に水が流れていたとみられる旧河道に密集した状態で発見された。下半分が欠損しているものがあり、長さ10~30cm、横幅21mm、厚さ1mm以下の針葉樹製。供養などのために1枚に17文字ずつ縦書きで写経し、通常20~40枚を1組として、ひもで縛っていたと推測される。「こけら経」は全国102の遺跡から出土し、その大半が法華経という。
 また、「見せ消(け)ち」と呼ばれる方法で、妙法蓮華経(法華経)の誤字を修正した「こけら経」2枚が含まれていることがわかった。これは全国初の発見という。
 「見せ消ち」は写経で文字を訂正する際、誤字を消さず、そばに符号などを記す手法で、飛鳥時代に定着したとされる。
 木板は法華経などを写しており、「他」の文字を書くところに誤って「佛」と書いたため、左側に誤りを示す片仮名の「ヒ」に似た印を入れ、右側に「他」と訂正していた。
 今回発見された「こけら経」は、21日午前9時から午後5時まで行われる県立安土城考古博物館(安土町)の「あの遺跡は今! Part10」で一般公開される。同日午後1時から報告会(要予約)もある。
[参考:BBCびわ湖放送、中日新聞、読売新聞、共同通信、産経新聞、京都新聞]
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佐久市・西一里塚遺跡群 弥生時代後期の土偶形容器が出土

2010年02月20日 | Weblog
 県埋蔵文化財センターは19日、佐久市平塚の西一里塚遺跡群で、弥生時代後期(約1800年前)の「土偶形容器」(高さ約28cm、頭部の直径約12cm)が出土したと発表した。弥生時代前・中期のものは県内外で確認されているが、後期は県内初出土。
 上部は頭や腕など人間の姿で、下部は容器のようになっている。左手に5本指の跡があるなど写実的な表現や胴部に開口部があるのが特徴で、祭事的な用途に使われた可能性が高いという。
 同遺跡群では、2004年から06年にかけて発掘調査が行われ、09年4月から見つかった破片の接合作業が進められ、土偶形容器であることが判明した。
 土偶形容器は県立歴史館(千曲市屋代)で、3月13日~5月9日に開催される「長野県の遺跡発掘2010」で展示される。
[参考:読売新聞、信濃毎日新聞、長野県考古学会HP、長野県埋蔵文化財センターHP]
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