歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

百済時代木製品の中に、日本産の樹木が多数含まれていることを分析で確認

2010年02月16日 | Weblog
 百済、最後の首都扶余で発掘された木製品に、日本列島だけに自生するスギが多数使われたことが16日確認された。
 これらは、国立中央博物館保存科学チームと国立扶余博物館保存科学室が、扶余地域の百済時代遺跡である陵山里(능산리)と双北里(쌍북리)、そして宮南池(궁남지)出土木製品16件70点のうち、53点に対する樹種を最近分析した結果明らかになった。
 分析結果、これら木製品からマツ(소나무)類、クヌギ(상수리나무)類、ケヤキ(느티나무)類、クリの木(밤나무)属、クワ(뽕나무)属、ヤナギ(버드나무)類・ビワの木(비자나무)、スギ(삼나무)、クルミの木(굴피나무)、ナツメの木(대추나무)属・モミの木(전나무)属の12種類が現れた。日本特産樹種のスギは全体の16%、9点であった。
 スギで製作した木製品は刃物状であり、機能が推察しにくい他の加工製品も含まれた。
 「スギは韓国では育たない日本特産樹種で、加工と工作が易しくて日本では建築用材をはじめとして、機具、家具、船舶などその利用範囲が広く、このようにスギ製品が検出されたことは、当時の百済と日本とに活発な交流が確認できる」と保存科学チームは説明している。
 他にビワの木、モミの木で作られた木製品もまた、「韓国ではこれら木が生育する所が限定され、スギとともに日本から持ってきた可能性がある」と付け加えた。
 百済時代の木製品出土遺物中、武寧王陵の棺材が日本特産コウヤマキ(金松、금송)でもあり、さらに武寧王妃の木製頭枕(두침)も日本特産である可能性が大きいと発表された。さらに宮南池出土木簡1点もまた、日本産スギが原料であることが判明した。
 これらの分析結果は、国立中央博物館が発刊する学術誌の「博物館保存科学」2009年12月号(通巻10集)に掲載された。
[参考:聨合ニュース]
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岐阜市・岩田西遺跡 「美濃国」と刻印された奈良時代(8世紀)の須恵器の破片2点が出土

2010年02月16日 | Weblog
 岐阜市教育文化振興事業団埋蔵文化財調査事務所は15日、岩田西遺跡(岐阜市岩田西2丁目ほか)の人工的な水路跡などから「美濃国」と刻印された奈良時代の須恵器2点が見つかったと発表した。
 見つかった須恵器の破片は、直径10cmの須恵器の杯(つき)の底部分で、縦3・5cm、横2・5cmの「美濃国」の刻印があった。別の1点は縦7cm、横4・5cmの三角形の焼き物の一部で縦2・8cm、横0・8cmの刻印が見つかった。異なる字形で「美濃国」と刻印されていた。須恵器の形状などから1300年前に焼かれたとみられる。
 遺跡から1km東には須恵器の生産地として知られる同市芥見の国指定史跡「老洞(おいぼら)・朝倉須恵器窯跡」がある。美濃国と刻印入りされた須恵器はこれまで岩田東A遺跡周辺で6点が発見されたほか、長野県佐久市の西近津遺跡群や平城京(奈良県)、斎宮跡(三重県)など6府県で見つかっている。これらは老洞・朝倉須恵器窯跡で造られ、長良川を通じて広く流通したとみられていた。
 今回、老洞・朝倉須恵器窯跡と長良川の間に位置する岩田西遺跡の人工的な水路跡などで須恵器が出土したため、発掘した同事務所は「同窯跡で生産された須恵器を長良川に運び出す物流拠点が岩田西遺跡付近に存在したのではないか」と指摘する。
 市道拡幅に伴い、昨年3月から今年1月14日まで、岩田西遺跡と隣接の岩田東A遺跡計2040㎡を発掘調査した。その結果、弥生土器や須恵器、土師器、石器など約3万点が出土した。刻印付き須恵器片は、幅4~5m、長さ約10mの人工水路(奈良~平安時代)から出土した。
 岩田西遺跡ではこれまで平安時代の水路や、室町、戦国時代の水田跡などが見つかっている。
 発掘された須恵器2点を含む出土品は、21日午後1時半に同市芥見の東部コミュニティセンターで開く「市東部地域歴史講座」で展示する。
[参考:岐阜新聞、中日新聞、毎日新聞]

過去のニュース・情報
  2010.1.21 佐久市・西近津遺跡群「美濃国」刻印の須恵器が出土


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池島・福万寺遺跡 弥生時代中期の水田跡や水路跡などが出土

2010年02月16日 | Weblog
 大阪府文化財センターの調査で池島・福万寺遺跡(東大阪市池島町)から、弥生時代中期(紀元前1世紀頃)の水田跡や水路跡などが出土した。大規模で組織的な水田経営の一端がうかがえるという。
 2008年11月から恩智川治水緑地の整備に伴う発掘調査で、南から北へ流れる川跡(幅19~24m、深さ約2m)約70m分を確認した。川跡の東側には人工の土手(幅2m、残存の高さ0・5~0・6m)、その東側に、畦で区切られた水田跡4枚(1枚約200㎡)が広がっていた。川跡には杭40~50本を打ち込んだ堰の痕跡があり、そこから取水して、水田に供給していたとみられる。
 現地公開が、恩智川治水緑地Ⅱ期用地内(東大阪市池島町)で20日午前10時から正午まで行われる。
[参考:読売新聞、大阪府文化財センター]



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渋川市・行幸田寺後遺跡 平安時代の石帯の「巡方」が出土

2010年02月16日 | Weblog
 渋川市が発掘調査していた同市行幸田の行幸田寺後(みゆきだてらうしろ)遺跡で、平安時代の住居跡から役人が身に着けていたとみられる石帯という腰帯に付ける飾り「巡方」(じゅんぽう)が出土した。
 出土した巡方(幅3.3cm、厚さ6.0mm)は、石製で濃緑色。奈良~平安時代の役人は、官位ごとに身に付ける帯金具と石帯で飾られた銙帯(かたい)にも、色や幅が細かく決められていた。
 巡方を含めた同様の装飾品の出土例は県内で100例を超えるとされるが、国衙など大きな役所がなかった同地にも役人が住んでいた可能性があるとみられる。
 同市ではこれまでに、かまぼこ型の飾り「丸鞆(とも)」4例と、巡方と思われる破片の出土があるが、完全な巡方の発見は初めてという。
 出土した巡方は、現在、北橘総合支所内の同課で展示されている。
[参考:上毛新聞、渋川市HP]
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