歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

奈良市・薬師寺 創建期の東院堂跡発見

2009年10月02日 | Weblog
 奈良文化財研究所と薬師寺が2日、薬師寺で8世紀前半(奈良時代)の創建時のものとみられる「東院堂」の基壇跡の一部が見つかったと発表した。
 東院堂は中心伽藍の東側に配置された別院の主要建物。周囲に僧坊などが置かれたとされる。現在の東院堂の北東部分から、高さ約1mの基壇跡の西端と南端がそれぞれ1.5m分出土した。基壇を外装していた凝灰岩の「地覆石」が残っており、「版築」の手法で造られていた。礎石を据えた穴が東西方向に3か所あり、柱の間隔(3~3・3m)や建物規模(東西24.3m、南北11.8m)は現存とほとんど同じとみられるが、基壇は一回り小さい東西28・1m、南北15・4mと推定される。3カ所で見つかった礎石の抜き取り穴の並び方から、建物は南向きだったことも判明。
 東院堂は養老年間(717~724年)に吉備内親王が母・元明天皇のために建立。平安時代に焼失したとされ、現在の建物は鎌倉時代1285年に南向きで再建され、1733年に水はけのため西向きに立て替えられたとの文献の記述が裏付けられた。
 創建当初の伽藍配置や別院の構造を解明する上で、貴重な資料とする。
[参考:読売新聞、共同通信、毎日新聞]
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奈良県御所市玉手地区 県内最古級の水田跡

2009年10月02日 | Weblog
 御所市教委は1日、同市玉手地区の発掘調査で、県内最古級の弥生時代前期(約2500年前)から後期(約1900年前)までの水田跡や農作業をした弥生人の足跡が見つかったと発表した。
 JR玉手駅北側の約6800㎡を4月から調査したところ、縄文時代晩期(約2800年前)~古墳時代前期(約1700年前)の遺構が7層にわたって確認された。
 水田跡は洪水で運ばれた砂で4層にわたり見つかり、弥生前、中、後期の各時期の水田が確認できた。前期は高さ最大15cmの畦で、長辺約3・5~5・5m、短辺約1・5mに細長く区画されていた。緩い斜面になっており、棚田のように斜面に作られたとみられる。水田内を巡る用水路や川から水を引く際の堰のほか、弥生人の足跡も無数に見つかった。
 中期は長辺が3~10mと区画がやや大きくなる。後期は長辺が4~8mで面積は同程度だが、水路に沿って規則正しく造られ、水路には護岸のための杭も打たれていた。こうした変化は稲作の本格化によるものとみられ、弥生時代を通しての水田の変遷を示す貴重な遺跡とわかった。
 一方、弥生前期の水田の下層からは、縄文時代晩期末の土器棺墓が1基、出土した。今年7月に玉手地区の北東に隣接した観音寺本馬遺跡から、晩期中頃(約3千年前)の土器棺墓が県立橿原考古学研究所の発掘で出土している。玉手地区は観音寺本馬遺跡と一体の遺跡で、縄文晩期から集落を構成し、弥生前期に稲作が導入されたとみられる。
 また、北約2kmの萩之本遺跡(橿原市川西町)でも同時期の水田跡が見つかっており、同市教委は「一帯が大規模な稲作地帯だった可能性がある」としている。
 弥生時代の上層からも古墳時代前期(約1700年前)の建物跡2棟や土器が出土しており、市教委は「縄文晩期から古墳前期までの約1300年間の遺構が重層的に確認できる貴重な遺跡」としている。
 現地説明会が4日に行われる。
[参考:毎日新聞、朝日新聞]

過去のニュース・情報
 2008.2.14 奈良県橿原市・萩之本遺跡 奈良で最古の弥生前期の灌漑施設と水田跡見つかる
 県立橿原考古学研究所は14日、同市萩之本遺跡で、弥生時代前期(紀元前4~3世紀頃)の水田跡と堰が見つかったと発表した。
 奈良盆地で確認された最古の水田跡で、奈良盆地で弥生前期に高度な水利技術を伴った稲作が既に行われていたことが初めて明らかになった。
 約500m北の川西根成柿(ねなりがき)遺跡では、同時期の環濠集落や橋の跡も出土。稲作が中国大陸から伝わって間もないころから、高度な技術で耕作が行われていたことを示す貴重な資料となりそうだ。
[参考:毎日新聞、産経新聞]

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沼津市・辻畑古墳 撤去を一時凍結

2009年10月02日 | Weblog
 昨日は、毎週学んでいる歴史勉強会の見学会で、辻畑古墳に行ってきました。
 230年前後の築造の可能性がある古墳として、とても興味がありました。
 出土品が、別の場所に移って保存あるいは分析中であるとのことで、それらが直に見ることができないことは残念でした。

 前日の中日新聞の記事で、沼津市長が道路建設に伴う古墳の撤去を一時凍結する方針との記事を見て、少し一安心。
 保存の方向になればよいのですが。
 写真は、前方部(南)より後方部(北)を見た外観。

 こちらは、東南角から古墳全体を写す。左側が後方部、右側が前方部
 主体部(手前が東、奥が西で東西軸に配置)。後方部墳頂から1m下に木棺直葬されたとみられ、朱の跡が見られる。
 後方部墳頂より前方部を通して南を見る。
   現在の海岸線は約3km先になりますが、当時は150m先にあったそうです。
 後方部の墳丘を削った跡には土の色の違いが見え、盛り土されたことがはっきりとわかります。盛り土は最大4.5mにもなるそうです。

過去のニュース・情報
 2009.9.14 辻畑古墳 現地説明会に1200人が集まる
 2009.9.7 辻畑古墳 土器などの分析から日本最古級230年前後の築造か
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京都市・上里遺跡 新たな遺構を確認 大規模な集落か

2009年10月02日 | Weblog
 市埋蔵文化財研究所が1日、京都市西京区大原野の上里遺跡で住居跡など新たな遺構が見つかったと発表した。
 2001年度から調査し、今回は遺跡東側を中心に約2200㎡を調べた。住居などの支柱とみられる柱跡のほか、土器棺墓が2基見つかった。また、地形の落ち込み部分からは、廃棄されたとみられる石器や土器が出土した。いずれも遺跡北端と南端から出ており、同研究所は集落がこれまでの推定より南北に大きかった可能性があるとしている。
 さらに石器を製造する際に出たとみられる石の破片が大量に出土し、集落に独立した作業場があったとみられる。居住、埋葬、生産の場がそろった縄文期の集落は近畿圏では珍しいという。
 現地説明会が3日午前10時から行われる。 [参考:京都新聞]

過去のニュース・情報
 上里遺跡
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