歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

伊達市・舟橋北遺跡 「真刀自」と人の名が書かれた土器が県内初出土

2009年10月23日 | Weblog
 伊達市教委が21日、発掘調査を進めてきた舟橋北遺跡(同市梁川町)から、役所勤めをする位の高い人物の妻の名前を示すような「真刀自」と書かれた、奈良時代末から平安時代前期のものと見られる土師器が見つかったことを明らかにした。
 教委によると、人の名前を示す文字が書かれた土器が出土したのは県内では初めてという。
 同遺跡は、福島盆地の東端部に位置し大きさは約2千㎡で、奈良時代末から平安時代前期、鎌倉時代前期の遺構が発見されている複合遺跡。
 ほかに、平安時代と鎌倉時代の建物跡が見つかっている。
 平安時代の建物跡は、6棟がまとまった形で発見され、うち1棟は米などを入れた倉とみられる。当時、静戸郷(しずりべのごう)と呼ばれた周辺地域の役所か、分庁舎のような機能を果たしていたと考えられるという。
 鎌倉時代の屋敷跡は土間敷きの家1棟と柱穴約200個が見つかった。井戸跡も4つ発見され、うち3つは枠が施され、うち1つは木組みがされていたことから、地域のリーダー的な人が使用していたと考えられるという。
 また、当市で焼かれた八郎窯跡の製品なども出土しているという。
 24日午後1時半から一般向け説明会が開かれる。
[参考:福島民友新聞、福島民報、福島県文化財センターHP]
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鳥取市・青谷上寺地遺跡 2000年前の中国製「八禽鏡」破片が出土

2009年10月23日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは22日、国史跡・青谷上寺地遺跡(同市青谷町)南西部の水田跡(225㎡)にある逆台形状の溝跡(長さ6m、幅4m、深さ0・9m)から約2000年前に中国で作られた青銅鏡「八禽鏡(はっきんきょう)」の半円形の破片1つ(縦8cm、横3cm)が見つかったと発表した。国内での八禽鏡の発見は9例目。
 破片には丸い突起や鳥の尾羽部分の文様があったことから、八禽鏡の一部と見ている。完全体であれば、直径約10cmになるという。溝は破片などと一緒に出土した土器の種類から、約2000年前の弥生時代中期に作られたこともわかった。
 同センターによると、八禽鏡は前漢末期(紀元前1~紀元1世紀頃)に作られ、権威の象徴や魔よけなどに使われたとみられる。4つの丸い突起と、4対の鳥の文様があるのが特徴。この地にあった集落が大陸などと盛んに交易していた証拠とする。
 同遺跡では、八禽鏡の破片は今回の発見現場の北東約150m地点で1999年にも発見されているが、距離が離れていることなどから、別の鏡の破片である可能性が高いという。
 現地説明会が24日午前11時~正午に開かれる。
[参考: 読売新聞]

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奈良市・平城京跡 8世紀後半のガラス玉の入った奈良三彩の小壺が出土

2009年10月23日 | Weblog
 平城京跡(同市大森町)で、8世紀後半の格式の高い横板組みの井戸からガラス玉の入った奈良三彩の小壺(直径約6cm、高さ約5.5cm)が出土した。釉薬が美しく残り、蓋付きの完形品。井戸を埋める際、水の神に捧げたとみられている。
 小壺はエックス線で調べたところ、3mmほどのガラス玉が5個確認できた。ガラスは七宝の一つで、宝物として入れたのだろうとする。
 奈良三彩の小壺は平城京跡で約10点見つかっているが、ガラス玉入りは2例目。
 調査地は平城京左京5条4坊9坪の一画で、播磨国の「平城京事務所(調邸)」があったとみられている。出土状況から、井戸(一辺約64cm)を半分ほど埋めて小壺を納め、廃棄の儀式が行われたらしい。
 市埋蔵文化財調査センターは、三彩は国が生産を管理しており、播磨調邸が祭祀のためにもらったのではないかとみている。
 出土した三彩小壺は、同センター(同市大安寺西2丁目)で開かれる秋季特別展(11月2日~12月25日)で展示される。
[参考:奈良新聞]

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