歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

五所川原市・福島城跡 10/18 現地説明会開催予定

2009年10月16日 | Weblog
 青森県教委の発掘調査で15日までに、福島城跡(同市相内)の内郭が、堀と土塁で区画した東西約210m、南北約190mの方形であることが明らかになった。これまで、内郭は200m四方とみられていた。
 室町時代の有力守護の居館を思わせる門跡や池跡とみられる遺構も確認されており、同城跡が中世の港湾都市・十三湊を治めた安藤氏の勢力の大きさを物語っている。
 今年度の調査は7月1日~10月23日の予定で、本年度で終了し、今後国史跡指定を目指す。
 現地説明会が10月18日(日)13:00~14:30に行われる。
[参考:東奥日報、青森県→教育HP]

過去のニュース・情報
 2008.10.24 十三湊 福島城跡で大規模な掘立柱建物跡 安藤氏の隆盛の裏付け
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北上市・国見山廃寺跡 9世紀前半~11世紀にかけ造成 4回の盛土を確認

2009年10月16日 | Weblog
 北上市立埋蔵文化財センターは14日、平安時代中期の山岳寺院跡「国見山廃寺(くにみさんはいじ)跡」(北上市稲瀬町)の第44次発掘調査結果を発表した。
 廃寺跡は1963年の調査以来、塔跡や七間堂跡など礎石建物跡が見つかり、平安時代の山岳寺院跡と判明している。今回、中心堂と考えられる七間堂跡の上段北側に位置する礎石建物跡のある平場を調査した。礎石建物跡と七間堂跡の間には山を切り崩した斜面があり、七間堂跡が下段で、調査地点が上段という位置関係となる。数回にわたる造成によって形成された最大約4mの厚さの盛土と、その中に4時期の異なる建物の建て替えが行われていた整地面を確認した。一部の整地面には掘っ立て柱建物の柱穴とみられる小穴が発見された。盛土には915年ごろ降下したとみられる「十和田a火山灰」の堆積を確認し、火山灰と出土土器などから最も古い整地面は9世紀前半で、新しい整地面は11世紀と推定されるという。約200年にわたり何度も建て替えて使われ続けた例はほかにないという。
 国見山廃寺跡は、平安時代の歴史書「六国史」の一つ「日本文徳天皇実録」の天安元年(857)6月3日の条に記載されている「陸奥国極楽寺」跡の可能性がある。2004年9月に国史跡に指定された。
 現地説明会は17日午前10時から行われる。平安時代の双堂(ならびどう)形式の仏堂跡が見つかった同市黒岩の根岸遺跡についても同日午後1時半から現地説明会が行われる。
[参考:岩手日報、岩手日日新聞、毎日新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さぬき市・龍王山古墳 4世紀後半の円墳と確認

2009年10月16日 | Weblog
 さぬき市教委は、6月から発掘調査を進めてきた津田湾古墳群の龍王山古墳(同市津田町)が4世紀後半に造られた円墳であることを確認した。
 市教委は04年度から津田湾古墳群の調査をしており、これまでに「鵜の部山古墳」「赤山古墳」「一つ山古墳」などを発掘してきた。
 今回は、昨年度末に測量、今年6月から発掘調査を始めた。その結果、「葺石」や基底石の位置などから、龍王山古墳は直径が25~30mの円墳であることが確認された。また、出土した円筒埴輪や壺形埴輪のかけらなどが出土し、土質・形状から4世紀後半の築造と推定された。
 津田湾古墳群の築造時期や特徴が調査によって次々と裏付けられており、四国最大の前方後円墳・富田茶臼山古墳(同市大川町)への過渡期に当たるとされ、当時の勢力の移り変わりを知る上で重要な資料とされる。
 現地説明会は17日午前10時半から行われる。
[参考:四国新聞、毎日新聞]

龍王山古墳
 墳丘の直径 23~27m の円墳。墳頂部には南北を向いた長い竪穴式石室(全長5.9m)があり、畿内的な古墳のあり方が指摘されている。石室の底部を粘土床で固め、周囲に安山岩の割石を積み、上部を板石で覆い、この中に木棺が安置されていたと思われる。
[参考:さぬき市文化財保護協会津田支部HP]



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする