カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

洋食屋 fujiya

2011年09月21日 | 大阪
「地下で息づく、デミ・ソース。」

ビルの地下の小さな食堂街、驚く程に地味なそんな立地、そして、驚きがないことに驚く、それ程に実直な料理の風味、洋食店としてあまりにも有名なこの御店は、謙虚過ぎる程に謙虚な佇まいで、それが平日の夜ということもあるのだろう、当初、客の出入りも、とても慎ましやかだった。

狭い店内、少ない席数にもかかわらず、給仕がひとり、調理兼給仕がひとり、シェフがひとり。
だが結局、その3人が目一杯の仕事をこなすことになる程度、リザーブされていた様子の席も含め、つまり、店内は程なく満席になる。

しかしそこに慌しさはなく、皆がゆっくり、じっくりと料理を味わいに来ている、そんな空気がどことなく漂うのが、とても居心地が好い。
とりあえずといった様子で口中にかき込まれる、そんな慌しい食事は、思い遣ってみれば、食べられる料理それ自体が気の毒で、当然の事、作る人はそんな扱いに対し、誠意を込めて調理したことを後悔することだろう。
じっくり味わってもらえると思うから、じっくり作れるのであって、自分の立場にしか思い至れない、そんな人間に、会話のついでに口に放り込まれてしまうものなど、機械に量産させればそれで充分、そこには作る人の想いなど、全く無用なのだ。

カウンター越しの目前で、手間隙かて作られている料理、その一部、戴いてみると、あまりにも基本的過ぎるその風味は、ハンバーグにせよ、カレーにせよ、正直、今ひとつ、面白味には欠ける、そういうところはある。
感覚としては、まさにその場、その時に、何かグッと心を惹き付けられる、どこか興味深さが涌く、そういう訳ではない。
あるのは、間違いのない料理、そういう感覚、その程度の満足感、それのみではある。

だが、微妙なデミの苦味であるとか、得体の知れない隠し味を此処に来て求めるのは、例えば映画を観に来て、手品を見たいというようなもので、おそらくそれは、期待すべきものを間違っているのだろう。
料理によって曲芸的な驚きを感じてみたい、そう望むのであれば、何なら、同じ名前のモダン・スパニッシュにて、ムースだ、カプセルだというような、滑稽なまでにアトラクション的な、そんな類の食事を、大枚はたいて味わってみるのも一興かもしれない。

それは兎も角、この御店に限らず、その存在を知り、それ以来、長い間抱き、期待していたイメージ、そういうものは、おそらく、いつであっても過剰なのであって、まさに我が道、王道のみを行くこの洋食屋に対し、普通ではない何かを求めるのは、己の過ぎた欲求でしかない。
堅実が旨の、昔ながらの変わらぬ味を提供する料理店、そんな御店には、過剰な客の期待に応える義務がある訳でもなく、むしろ、そんな期待には踊らされない、その実直さこそが、この御店の評価されるところであり、その実力であるように、後になってみれば思える。

それが、伝統的であろうが革新的であろうが、とりあえず、個人的には目新しい、そんな料理に興味を惹かれ、日々振り回され、自分にとっての美味しさの基本、それが何なのかわからなくなった、そんな時にも、きっと、この御店は、その味わいの本質を見失わず、ビルの地下に、ひっそりと存在し続けていてくれることだろう。

洋食屋 fujiya 洋食 / 谷町四丁目駅堺筋本町駅天満橋駅
夜総合点★★★★ 4.0