カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

はせがわ

2011年09月14日 | 京都
「思い出の、種子。」

それすらも、既に一年、それ以上も前のことなのだけれども、その日カゲロウは、里帰りした友人と昼間逢っていた妻を迎えに、夜のはせがわへ出かけてきたのだった。

随分と離れた場所、とある病院の隣にある、専用駐車場に車を停め、ふたりで話しながら少し長い道を歩いて、暗闇の中でほんのり輝く、はせがわのショーウィンドウの前に立つ。
並ぶ料理の模型の数々は、バリエーション豊かで、選ぶ楽しみに気持ちが踊る。

入った店内は、木の温もりのある、意図的に段差のある造りで、御店のメニュウと同様に、席の具合にもバリエーションがあるように見え、座る場所を選ぶこと、それもまた楽しみのひとつであるような、来る人を、そこはかとなくそんな気にさせるのだ。

開いたメニューには、優柔不断なタイプなら、ちょっと選ぶのに苦労するくらいのハンバーグの種類が記されていて、この御店の料理を味わい尽くすには、何度来店しなければならないのかと、必要のない覚悟まで試されている、そんな気にすらなってくる。

だが、カゲロウは知っている。
此処に来るのは、何年振りのことかわからない、それくらいのご無沙汰ではあるのだが、過去に何種類かのハンバーグを戴いた、その憶えはある。
メニュー的、組み合わせの多さ、ソースの風味の豊富さは、確かに群を抜いてはいるものの、実は、肝心の核となるハンバーグは、どのメニューであっても、おおよそ同じ。
そして、そのハンバーグ自体には、取り立てて、特徴らしい特徴はないのが実情で、だからこそ、どのソースにも合うのだろう、そのことは、それなりに評価されて然りである。

御店の努力、そしてアイデアは、勿論評価されるべきものではあるのだけれども、結局は、何度か来るたび、物足りなさが増していくというのも、切ないもので、何故自分が長い間、足を運ばなかったのか、少しでも変り種をと思い注文してみた、スパゲティが下に敷かれた、形だけ風変わりなハンバーグを食べながら、カゲロウは、その訳に思い至る。

そう、こんな感じだったねと、妻と納得し合い、じゃあ、どのハンバーグが美味しかったかな、そうふたりで思い返してみる。

そしてふたりが思い出すのは、学生の頃、もしかすると、その少し後だったかもしれない、そんな年頃だった、ある晴れた日、テイクアウトで買い求め、傍らの鴨川の土手で食べた、お弁当のハンバーグだった。

テイクアウト用のタッパに詰め込まれたハンバーグは、はみ出さんばかりのボリュームで、シンプルに、ケチャップ・ソースをかけただけのもの。
付け合せのキャベツが申し訳程度に少々と、確か、ご飯は別のタッパに、これも溢れんばかりに装われていたように思う。

まだ妻ではなかった彼女と、不安定な自由を内心抱きつつ、お互いを気遣いながら、麗らかな春の空の下、カゲロウはハンバーグを頬張る。
あまりの量に、ご飯はひとつにして、分けてもよかったねと言いながら、それでも、持って帰るわけにもいかず、笑いながら、無理してお腹に詰め込んだ、きっと、そうなのだろう。

実際のその場のことを思えば、おそらくは、ちょっと寒かったり、もしかすると、そろそろ暑かったり、北大路通りを走る車の音や、虫が煩かったりもしたのだろう、そんな現実は、容易に想像できる。
出来るのではあるけれど、現実のそんな部分は、思い出には必要ないし、そんなこともあるだろうから、もし、またそうする機会があったとしても、そんな面倒なことは止めておこう、そう思うようなことがあるとしたら、それ程までに人生を無駄にしている実際も、本当にない。

程々に煩わしい、瑣末な事情があったとしても、晴れた春の日に、鴨川の河原で一緒にハンバーグを頬張ってくれる人が、もし居るのであれば、それは万難を排してでも、実行する価値のある思い出の種であって、後々心に残るのは、そうやって食べたハンバーグが、いちばん美味しかった、その風景、それだけなのだから。

はせがわ 洋食 / 北大路駅鞍馬口駅北山駅
夜総合点★★★☆☆ 3.5昼総合点★★★☆☆ 3.5