カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

山崎麺二郎

2011年09月01日 | 京都
「セックスと嘘とメン及びスープ。」

このラーメン屋のメンマは、繊維が短く切断されるように、横向けに切ってあるのだ。
食感にも好き好きあれど、とりあえずは、何と親切なことであろうか。

例えば、真面目で親切な人をつかまえて、そんなことでは面白くも何ともないなどと言うのは、実は自分の不真面目さを、あえて表に晒しているようなもので、同じく、真面目に作られた料理に対し、面白味が無いなどと言おうものならば、お前は黙れと心ある人々から非難されたとて、何ひとつ反論できる余地も無く、当然のこと、口答えなど、するべきでもない。

雰囲気、厳かに、店内に流れるBGMは、J-ポップとカテゴライズされる、ありきたりな音楽で、何ものをも邪魔するものではなく、ただ、その音量以上での会話を、この場所では禁じていますという、店主からの無言のプレッシャーである。

教会のミサでの一場面、司祭から直接口中に与えられるパンのように、そのラーメンは、客の目前に、厳粛に、提供される。
あくまで厳かに、静々と、集う老若男女は、ラーメンを啜る、音も無く、もしくは、微かな音を立てて。

最近のラーメン屋も、若い客も、一体どうしてしまったのだろうか、どうにも堅苦し過ぎる。
やたらに威勢のいい飲食店もイライラするが、これはこれで、まったく寛ぐこともできやしない。
いや、だが、そんなことは、決して言ってはならないことなのだ、その場に自分も居たい、そう思うのであれば、郷に入れば郷に従え・・・だがしかし、心中、何を思うか、それは、あくまで自分の自由な領域だ、何時どんな処であったとしても。

麺もスープも、それなりに見所はある、何処に出しても恥ずかしくはない。
面白味はないにせよ、誠実で朴訥な清潔感を漂わせ、その意志、その主張、その輪郭も、確りしている、共に何処をとっても良い出来だ、だが、お節介を言わせて貰えば、そのふたつのマリアージュは、残念ながら、上手く行っているとは言い難い。

それは、一緒に居るふたりの問題なのかもしれないが、ふたりに契りを交わさせる権限を持つ、その司祭の采配のせいでもある。
ふたりがひとつになることを、神の御前で約束させた、責任ある真面目な牧師は、立場上、決して離婚は許さない。

だがしかし、結婚とは、何かが足りない者同士が、お互いを補い合い、庇い合うものであって、独りでやって行ける者が、そのままの状態で、自分を主張し続ける為の場では、決してない。
そして、一緒になったお互いが、お互いの存在を無視しつつ、何とか毎日をやり過ごす、そんな状態に、いったい何の意味があるのだろうか。
経済が上手く行っておれば、それで充分、むしろ、もたれ合わない、そんな夫婦が潔くて気持ち良い、そういう風に思い、実行し、支持する、そういう人もあるだろう。

だがしかし、真実のところで、ウマが合わない、どうしても上手く行かない、一緒に居ても、思いは別々、そのような風情の、そんなふたりは、いっそパートナーなど必要ない、そういう在り方の方が、世の中、丸く収まるのではないか。

だがその別れは、結婚であろうと、ラーメンの器の中であろうと、様々なしがらみにより、おいそれと許されるものではない。

美しく照り輝く、潔癖で艶やかな麺の、流れるような白い渦、その曲線を眺めつつ、在るべき処に行き着くことも許されない、それもまた、世の不条理、そのひとつのように、カゲロウには感じられた。

山崎麺二郎 ラーメン / 円町駅西大路御池駅北野白梅町駅
夜総合点★★★☆☆ 3.5