ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
あと告知とか色々。

アイドルと宗教

2019-03-11 20:27:27 | エス
 エスです。今日は自分の中でややセンシティブな話。

 先日NHKのなんかの番組で(ねほりんぱほりんかチコちゃんに叱られるのどっちかだったと思う)、「アイドルは神様である」という意のことが放送されていた。
 アイマスやラブライブ、ナナシスなど、アイドルを題材にしたコンテンツは今の流行りの一つであるが、それらは本職のアイドルではなく声優がアイドルのキャラクターを模してステージに立つ(アイドル声優という間に立つカテゴリもあるがここでは割愛)。それらは神そのものというより声優が自らの身体を依り代として神をその身に降ろす、いわばシャーマンのような役割を持っている。
 以前ヨン様の記事で、アイドル現場にて行われるMIXをチャント(詠唱)と呼んでいるという話をした記憶がある(こちら)。意味のない言葉を特定の様式をもって叫ぶ行為はその場を神の場にすることに通じ、原始宗教的なハレの日の熱狂を現代に呼び覚ます行為であると認識している。一方シャーマン現場においてチャントはコールとなり、やや一体感を伴ったものに趣を変える。その場を神の場にするのではなく、シャーマンらが降ろす神に捧げるための祝詞という意味合いが強くなる。クリスチャンのワーシップ系イベントにおけるハレルヤやアーメンの合いの手と役割的には近い。当然ながらこれは完全に峻別できるものではなく互いの要素を多分に含む。あくまでも傾向である。
 神にしろシャーマンにしろ、二つに共通するのは「ヒトがヒトならざる者になっていく」ことだと思う。

 後輩がアイマス声優になった話は以前した(こちら)が、素晴らしいユニット曲をもらったりするなど彼女の活躍が喜ばしい一方で、ヒトの身を神様の座に押し上げているような居心地の悪さ、大げさに言ってしまえば底知れぬ恐ろしさもまた感じている。
 他の声優の方に対してはヒトとしての姿をあまり知らないからそこまでの居心地の悪さは感じずに済んでいるのだが、なまじヒトとしての時期を知っているだけに、よけいそういうことを考えてしまうのはある。別にそこまで親しかったわけでもないんだけども。
 アイドルは業の深い職だと思う。その業の深さを知りながら自分あるいは我々はプロデュースごっこに興じている。彼らシャーマンもまた真の意味で人の子であることを忘れないようにしないといけない、と常に思っている。
 まあ、これは自分が勝手に思っているだけのことで、当人からすれば余計なお世話である可能性も当然あるし、そう思ってるからって何が変わるってわけじゃあないんだけれども、まあ、そういうスタンスですよということで一つ。

 ちなみに興味はあれど自分が川島さんの担当声優であるところの東山奈央さん本人の現場に行かないようにしているのは、どこかで東山さんを神格化してしまう一瞬が訪れる可能性があると感じているからです。
 コンテンツへの適切な距離感、ヒトとの距離感、神との距離感、これ大事。測っていきましょう。

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