死別シングル奮闘記

夫の死を乗り越えて2人の子供と頑張って生きる母の日記です

お彼岸~父の田舎へ

2017-09-25 16:38:46 | 
秋分の日に、父の田舎へ行ってきました。

2年前に父がまだ病気をする前に、「伯父さん(父の3つ上の兄)が元気なうちに会いに行こう」ということで行ったのですが、その後すぐに父が病気をしてしまいまして。
伯父さんじゃなくて父が元気なうちに行ったような感じになってしまいました。
入院中は生死の境をさまよった父ですので、私のいとこ(伯父さんの娘)も心配して見舞いに来るほどでした。
あれから2年、今はずいぶんとやせてしまったもののどうにかこうにか無事に過ごしている父。
最近の口癖は「もう、今年一杯の命だ」だとか。
まあ、体重もここ半年で5キロ以上落ちてしまったし、食欲もあまりなく、体力の低下も著しい。不安になるのもわからなくない。
なので、今回は父が元気なうちに、伯父さんに会いに行くツアーを企画。
最初は嫌がっていた父ですが(やせた姿を見られたくないんだろうな)家族の説得にどうにかこうにか応えてくれて、お彼岸に行くことにしました。

当日は、朝私が横浜から来るまで実家に。そこで両親を拾って、姉の家へ。姉夫婦を拾ってから出発です。
途中で幸手市の権現堂に寄り道。ここは彼岸花がとてもきれい。前回もここによって行ったなぁとしみじみ。前回は父は呼吸が苦しかったものの自分で歩いていたからね。今回は義兄さんが車椅子を押してくれて散策です。

彼岸花もちょうど満開、というか少し終わりかけの花もありましたが、真っ赤な彼岸花のじゅうたんは圧巻でした。天気が曇りだったので、これは晴天の日に行ったらすごくきれいだろうな~なんて思ったりして。

少し散策して、田舎のお墓参りのお花を購入して、あっというまにお昼近く。
お昼ごろには行くと伝えてあったのに、なんだかんだでついたのは2時近くになってしまいました。
どうしてもトイレに時間がかかったり、乗り降りも時間がかかるからしょうがない。

田舎では年はとったものの元気な伯父さんが今か今かと待ち構えていました。
久しぶりの対面は涙なくしては見ることができませんでした。
思った以上に痩せてしまった父の姿は伯父さんの目にどう映ったのかはわかりませんが。
でも、会えて良かった。
そして、いとこ一家や久しぶり会ういとこも集まって、大勢で食卓を囲みました。なんと食事のほとんどをうちの息子と同い年の男の子(いとこの息子)が作ったというから驚きです。さくさくに揚がった天ぷら、出来立ての料理屋さんのかと思ったら、なんと19歳男子の手によるものだなんて!!他にも煮卵や生ハムのサラダなんか用意してくれてました。すごい!!

父は食欲がないけれど頑張って食べてましたが、途中でなんか息苦しそう。
酸素のボンベも持ってきてるのに、なんでだろう?と思っていたら、なんと何かの間違いで途中で酸素のボンベのスイッチがオフになっていて、酸素が出ていなかった。
だから息苦しかったんだ。血中酸素濃度を測ったら、82%って。これはかなり苦しいし、こんな状態が続くと大変な値なんだと思います。あわてて、酸素ボンベのスイッチを入れて、しばらく安静にして。そうしたらどうにか94%まで戻りました。はぁ、びっくり。
なんかこれで調子が悪くなっちゃった父親。あまり声も出なくなっちゃったし、元気もなさそう。
食事をして、山の上にある墓にお参りをして(父は留守番)、隣の小山にある栗の木で栗拾いをして(父は留守番)、それで帰ることに。栗も前回はとりきれないほどあったけど、今年は夏の天候不順のせいであまりなっていなかった。残念。私たちが活動的に動いている間、父はいなかの庭を見たり、蔵を見たり。ゆっくりと過ごしてたみたい。それはそれでよしです。はい。

伯父は帰り際に、父に向かって「お前、今年いっぱいの命だなんて言うなよ。そんなのは神様が決めることなんだ。だから言っちゃだめなんだよ」と言ってました。父も涙ながらに伯父の話をきいてました。最後に伯父が「だいたい、おっかさん(伯父と父の母親)は70くらいから今年一杯だっていいながら結局98歳まで生きたぞ」って元気の出るエピソードも残してくれて。本当だよ、お父さん。頑張って長生きしようよ。

父は自分の体力が思った以上に落ちているのにショックを受けてはいましたが、伯父に元気をもらって帰ってきたかな。

9時過ぎに実家について、私は家にすぐ帰らないといけなかったけど。
父から「今日は本当にありがとう」と言われ、すっかりやせてちいさくなった父の手と握手をして帰りました。

今日は酸素の不具合もあって疲れさせちゃったけど、もう少し元気になってまたどこかに行こうね。

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