死別シングル奮闘記

夫の死を乗り越えて2人の子供と頑張って生きる母の日記です

怒涛の1週間⑤

2021-02-20 21:03:38 | 
④から続く

さて、金曜日。今日はお通夜。
義母は午前中は家にいる。
脳梗塞で倒れてから5年、家が大好きで病院から一時帰宅すると「もう病院には戻らない!」と言ったり。
病院にお見舞いに行くと一緒に家に連れて帰ってくれと言ったり。
そんな義母でしたから、家でゆっくりと過ごさせてあげようということで。斎場に行くぎりぎりの時間まで家にいることに。
子供たちは、そんな義母に会いに行くために早めに家を出ました。
私はPCRの結果を待ち、陰性だったらすぐに行くように準備をして子供たちを送り出しました。
午前中は早めに連絡が来ていいように、準備を万端にしてお昼前には喪服に着替えていました。
12時半には連絡がいくと思いますと言われていたので、12時半近くになって我慢できずにこっちから病院に電話。
「いつもならもう届いているんですけどねー、まだなんですよ」と言われ。
1時ごろに出れば、お通夜に最初から参列できるのだが。無情にも1時は過ぎ。
2時になってもまだ連絡が来ず。
もう、もう、もう。いつだよー、いつ来るんだよー。まさかの陽性か?だから遅い?
とやきもきヤキモキ。
そして、2時半になり、やっと連絡があり。
「お待たせしました。のんべの妻さんのPCR検査の結果ですが・・・・・・・・・・」おい、間が長すぎる!!早く!!
「えーっと・・・・・・」どんだけ引っ張るの!!!
「陰性でした。さ、早く新幹線に乗ってください!」って言うならもっと早く言ってよ!!

と、いうことで。
すぐに戸締りをして、家を飛び出し。
電車に乗って、横浜の乗り換えで往復乗車券を購入し、横浜線に飛び乗り、新横浜でちょうどの時間で予約した新幹線に飛び乗り。
斎場に向かいました。
到着はもうお通夜が終わるころ。でもしょうがない。
広島の駅からまた電車に乗り換えて在来線で1駅。
駅でちょっと迷子になりながらも斎場に到着。
もう、お坊さんも帰っちゃっていたけど、食事の時間にはどうにか間に合い。
やっと義母に会うことができました。
2日前には意識がないとは言え、まだ頑張っていたのに。
でも、本当にお疲れ様って声をかけ。

子供たちも頑張ってくれてました。受け付けはムスコ、お茶出しはムスメ。せっせとよく働いていました。本当に頼もしくなりました。

食事も終わり、私たちはホテルへと。息子はシングルルーム、私と娘はツインルーム。お疲れ様のお酒を買いに行き、3人で飲んであっという間に寝ました。
お昼頃までPCR検査の結果を待っていたのに、夜にはお通夜に出てホテルにいるってなんだか変な感じ。

大体、姪っ子の結婚式のために礼服を買いに行ったあの日からまだ1週間なのに。たった1週間で、まさか義母のお通夜になるとは。
本当に想像もしなかった。1週間で2回も広島に来ることになるなんて。明日は完全に義母とのお別れになるなんて。
色々と思いを巡らせて眠りにつきました。
明日は告別式です。

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