死別シングル奮闘記

夫の死を乗り越えて2人の子供と頑張って生きる母の日記です

浪人生息子1月の記録

2018-01-31 09:07:39 | 息子
早いもので今日で1月も終わりです。
息子の予備校の授業も本日をもって終了とのこと。
4月から10ヶ月間、予備校がお休みの2日間を除き毎日通いました。
よく頑張りました。
私のお弁当もほとんど皆勤賞。多分10回くらい購入だっただけで、あとはほとんど作りました。
よく頑張った。
多分300日近く毎日(土日も含めて)作ったってことになる。

私の弁当を褒めている場合ではない、息子も本当に頑張った。
中だるみもほとんど無く、毎日毎日せっせと通い。
模試の成績も維持して、予備校のクラスでも上位にずっといることができた。
ま、受験はクラスの成績で決まるわけではないし、模試の成績もあくまでも参考だし。
頑張ったけど、どこまでどう伸びているのかは分からない。
だからこそ親は不安。

そして、1月はセンターの国語で大コケしてしてしまい、私が落ち込んでしまった。
センター利用もあれやこれやいっぱい出したけど、今のところA判定が出ているのは一番下のところ。
その上の二つはB判定。このB判定の下のほうは多分大丈夫だけど、もうひとつは志願者が去年の1.5倍に増えているので微妙。
上位のセンター利用はまず間違いなく全滅。
そして一般受験の出願を予備校の担任と相談。
こんな状況で志望校に受かるのか私は本当に不安で、受験する学校を下げたところをメインにして欲しかったけど。
このままで行くと。その代わり、他のところもせっせと受けると。
受験だけでつぶれてしまいそうな過密スケジュールが出来上がり、あとは合格が取れていればすこしずつ削っていく感じですかね。と言うことろに落ち着き。
あとはセンター3科目で受けられる国公立も1つ追加し。
これは国語の比率が低い計算方法を取り入れているので、もしかしたら可能性があるかもと言う感じ。
(倍率によるけれど)

と言うわけで体制は整った。
家族揃ってインフル対策も抜かりなくやっている。
万全の体調で、気持ちで受験に臨んで欲しい。
今までやってきたことをきちんと出せるように。

次回の息子の報告は多分浪人総括になります。
いい報告ができるのかどうなのか。
頑張れ、息子。
多分これを読んでいる人たちも応援してくれている。君の力を発揮してくれ!!

父亡き後

2018-01-16 08:55:57 | 
父が亡くなって半月

もともと寡黙な人だったし、実家に電話しても父が出ても何も言わずに母に代わっちゃうような人。
だからなんだか実家に行かなければ父がもういないと言う気持ちもわかず。なんだか今でも実家に行けばこたつに入ってゴルフ番組見てるような気がする。
あ、お相撲も大好きだったからきっと初場所見てるかな。

息子の受験のこともあり、なかなか実家にいけずにいる私。父の葬儀から一度も行っていないという薄情な娘です。

でも、父が亡くなったことにより母には様々な手続きもあり、それは全て姉が一手に引き受けてやってくれてます。
姉はパートで小学校の先生をやっていて、月曜日がお休みなんです。なので、お休みの日に実家に行っては役所だの保険だの年金事務所だの色々とやってくれてます。
もちろん私も手伝いたいと言う気持ちもありますが、手が足りなければもちろん私も手伝いますが、そうでなければ意見がぶつかったりすることもあるので。
敢えて自宅待機。

亡くなったのが年末だったせいか、または自治体の体質か。本当に遅い。役所の手続きが進まないと何もできないと言うのに、まだ終わらない。
昨日も姉は行ってくれたのですが、なんと3度目の市役所訪問にも係わらず、まだ終わらず。「じゃあ、また次回来て下さい」と言われ姉ブチキレ。
「仕事を何度も休んで(本当は休みだけど)手続きしているのに、また次回ってどういうことですかぁぁぁぁ????」
ブチキレのおかげでもう行かずに済むらしいけど。

で、手続きと同時進行で実家には墓も無ければ仏壇も無い。ということで四十九日の法要までには位牌さんと仏壇を準備しないといけない。
これも手続きついでに姉と母と2人で準備。

そんなこんなで、姉が毎週行ってくれたり、父のレンタル品(ベッドや酸素の機械や痰の吸引機)などの引き取り、ケアマネさんの訪問。
などなどちょこちょこ人が出入りして寂しくないみたいだけど、やっぱり一日が長いらしい。
そうだよね、今まではお父さんの世話で色々大変だったんだけど、その時間がぽっかり空いちゃうんだもん。
私ももうちょっと顔出してあげられればいいけど、それも距離的にも難しいし。おまけに今は息子のことが大変だし。(何するわけじゃないけど)

母も四十九日まではあまり予定を入れずに父のことを思ってすごすらしいです。
四十九日が終わって母にも日常が戻るのをきっと父も望んでいるから、忙しい母に早く戻ってもらいたいな。

四十九日が終わって息子の受験も終わったら、母と旅行にでも行こうかな。
あとはもっとこまめに顔出すからね。
寂しいけど頑張ろうね。


センターーーーーーぁぁぁ!!

2018-01-15 12:05:54 | 息子
土曜日に息子のセンター試験がありまして。

思ったより、取れませんでした。
あぁぁぁぁ
あんなにやったのに。勉強も頑張ったのに。なんででしょうか?
ちなみに英語と日本史は去年をはるかに越える良いできです。よく頑張りました。
が、が、が。
国語が。
それも得意としている古文がぁぁぁぁ。
なんかね、ここのところずーっと古文は小説が出ていたから、予備校の対策講座も小説をメインにしていたりしたんだけど。
今年は随筆?的なものが出て。
それですっかりやられてしまったと。
おいおいおい、随筆だって古文は古文だ。やればできるのに。

と、言うわけで。
センター利用で出していたところもずいぶん壊滅状態みたいです。はい。
もう、もう。

本当はね、よく頑張った英語とか日本史とか褒めてあげたいんですけどね。
あぁぁぁぁぁ。

なんか去年のほうが落ち着いてたわ、私。
でも、まだこれからが本番だし。
そうそう、これからこれから。
頑張ろう。がんばって。あぁぁぁ

かなり混乱ののんべの妻でした。

浪人生12月の記録、そして明日はセンター試験

2018-01-12 09:09:27 | 息子
どうしましょう、どうしましょう。
明日はセンター試験です。どうしましょう。

さて、12月の浪人生の記録ですが。
12月の上旬で通常の予備校の授業は終わり、そのあとからは冬期講習→直前講習となります。はい、別料金です。
結構これが高かった。
息子と担任の先生とで必要な講習を選んで、決めて行きます。
同じ日に取りたい講習が重なる場合は他の校舎で他の日に同じ講習があったりするので、他の校舎まで行く計画を立てたり。
結局、基本は横浜だけれども、御茶ノ水や池袋、あざみ野などなどあちこちに行くことに。
ま、そのおかげで元旦に池袋でおじいちゃんに会いに行くこともできたんだけどね。

冬期講習に突入した以外には特に変わったこともなく。模試もほとんど終了してしまい、あとは自分との戦いですよね。
自分に何が足りないのか、どこを補えばいいのか。
もっと予備校って手取り足取り的な感じなのではないかと思っていましたが、そうでもなく。結構自主性に任されている部分も多いのかな。
その中で最初に立てた目標に向かって頑張れる人がいい結果を出せるのかな。
なので、結局4月から変わることの無い生活ペースを守りつつ、頑張り続けた息子です。どこまで伸びたのか、私にはまるで分かりません。
後期の成績表も送られてきましたが、まあまあの成績。でもこの成績が良いからと言って合格が保証されているわけではありませんし。
何回かの模試の結果を総合しての同じクラス内での順位が出ているだけですから、模試のときに調子の悪かった人もいれば、自分の実力以上のものが出せた人もいれば。
ま、でも頑張っていることだけは確かです。

12月のお休みはほとんどなかったな。
8時から21時まで予備校に通って、家に帰ってから食事。そのときに録りためておいたテレビやamazonプライムでアニメ見たり。ちょっとだけ頭を空っぽにして、また勉強。
本当によく頑張ってます。
そして、私も父のことがあったけれど、弁当作りも頑張ってます。冬になって保温弁当箱になってからはあったかいご飯にあうおかずを準備してあげたり。予備校生が頑張れるようにと思ってやってます。
バレー部の仲間も同じ校舎に息子を含めて3人。最初の頃は敢えてあまりかかわりを持たなかったのですが、ここのところは一緒にお昼を食べたりして励ましあってるみたい。

さ、さ、そんな息子も明日はセンター試験。
センター利用の出願も済ませました。色々配点を見ながら、担任に相談したりして挑戦圏から安全圏まで。色々と出しました。
ここで少し合格を手に入れてこれからの試験が少しでも楽になればいいなぁと。
今までやってきたことを発揮できればいいなぁと。
どこの受験生の親も同じことを思っているでしょう。でも、本当に頑張って欲しい。
自分を信じて頑張って欲しい。

私もおろおろせずに、どーーーーーんと構えて頑張ります!!

父を送る

2018-01-11 11:33:37 | 
父が亡くなって10日。夫を見送った時とは違った喪失感に襲われています。

父が亡くなったのは年末でしたので、葬儀までにすごく日数を要するのではないかと心配しました。
亡くなってすぐに実家で入っていた互助会の葬儀社の方が来られ、火葬場は4日からなので最短で3日通夜、4日告別式になりますが空き状況にもよりますと言われ。
翌日の午前中に実家の担当になる方が来られて、最短の日程で手配できることになりました。
父は通夜の午前中まで自宅にいることになり、それはそれでいい時間が流れました。
亡くなった時と同じように、介護用のベッドに横たわる父。いつもと同じ場所で、ちょっと枕が高くなっているような状態。なので、正面においてあるテレビを見ているような状態。苦しむことなく旅立ったのでまるで眠っているよう。

葬儀の詳細を決めるにあたり、生前父は自分が亡くなった時のことを決めるのをとても嫌がっており、どのように葬儀をやるかも決まっていませんでした。
なので、母と姉と相談して正月だということもあり、こじんまりと家族葬、でも厳密じゃないよ的な感じで執り行うことになりました。
もう旦那の葬儀なんて、15年も前だし全く覚えてないのですが。決めることが本当に多くてびっくり。
それにこじんまりと家族葬だといってもまあ、費用と時間のかかること。びっくりしました。一つ一つ全部決めたころにはもうお昼。
姉の娘たちがおじいちゃんに会いにやってきたり、父の田舎から父の兄の娘さんも飛んできて。近所の方たちも弔問に来られたり、父のことをしのぶ時間が流れました。

私はその日は夕方帰宅し、子供たちと年越し。こんなに年越し感のない年越しは初めてでした。たぶんこれからもこんな年越しはないでしょう。
翌日元旦は、私と娘は朝から実家に。息子は間もなくセンター試験ですし、父のために時間をとることを父はきっと望んでなかっただろうということで当初の予定通り予備校へ。
たまたま元旦に池袋で授業を受けることになっていたので、その授業が終了したら父に会いに来ることになりました。(池袋は実家から一番近い東京の繁華街だから!!本当に近い)
子供たちもちゃんとおじいちゃんとお別れができてよかったかな。

2日は実家にはいかず、家で過ごし。駅伝を見に行ったりしました。なんだか普通の正月のようでした。毎年3日には実家で新年会だったので、翌日実家に行けば駅伝の復路を見ながらみんなで新年会をやるんじゃないかと錯覚してしまうほどでした。

そして、3日。父が斎場に向けて出発するのに間に合うように実家に行き。10時半ごろにお迎えに来た葬儀会社のスタッフによって車に乗せられて。行ってしまいました。

寂しかったけど、父が出発するまでの間ゆっくりと時間が流れたし、何よりも父が大好きな自宅でゆっくりと過ごせたのはよかったのかな。って思ったり。

夕方から通夜です。今回はこの斎場で他の方の葬儀が入っていなかったのでゆっくりと他の方に気兼ねせずすごすことができました。
会場も祭壇もすべてこじんまりとお願いしたのに、結構ちゃんと立派?で。
家族葬でしたが、町内会の同じ班の方や父の会社の方など大勢弔問に来てくださり。
いい式でした。
そして、翌日の告別式では喪主の挨拶。80才近い母には無理じゃないかと思ったのですが、お父さんのお礼は私がちゃんと言うと母が言うので。母が挨拶しました。
「定年後は大好きなゴルフを好きなだけして、最後は大好きな自宅で私に看取られて旅立ったので本人は本当に幸せだったと思います」と気丈に挨拶する母。すばらしかったです。
本当にお父さんは幸せもんだと。つくづく思いました。

そして、式場での最期のお別れには棺にたくさんお花を入れてあげて父がいつもかぶっていたゴルフの帽子とゴルフの大会のテレビ放送予定表(これを見ながら毎日ゴルフの番組を見ていた父)を入れてあげ。よく着ていた赤いセーターとポロシャツをかけてあげて。本当はゴルフボールとかゴルフクラブとか向こうで使うだろうから入れてあげたかったけど。ボールは爆発するからだめだし、クラブは金属だからだめだし。
ま、向こうで新しいセットを用意していっぱいゴルフしてね、お父さん。
お別れだけど、お見送りみたいなそんな感じでした。

一通り、葬儀が終わり、実家に戻ったのは夕方遅く。小さくなってしまった父を大好きだった自宅の2階に置いてあげて。
あぁ、これで一通り終わったんだ。見送ったんだって思って、でもあまり涙は出ませんでした。

多分2年前の入院のときにある程度の覚悟ができていて、そこから2年間、父と旅行に行ったりドライブしたり、お寿司食べたり。いろんなことができたし。2年前からそう遠くないうちにこの日が来ることはある程度覚悟できていたし。私の中では秋に父が入院する前に、この冬が勝負だなって思っていたし。心の準備はできていたのかな。

葬儀から時間が経つにつれて、実家に電話しても父がいない。母は入院しているような気がすると言っていたけど、本当に病院に行けば父に会えるんじゃないかってような気がして。
あぁ、しばらくはこんな喪失感が続くんだなって思いなが日々過ごしてます。