のんべが余命宣告を受けてからは嵐のような日々でした。まずは食事が出来るように腫瘍が出来た部分をよけて腸のバイパスを作る手術を受けること。その間にもホスピスを探すこと。本当はがんセンターで最後まで治療を受けたかったのですが、がんセンターはホスピスとしての機能がないこと、家から遠いこと、そしてショックだったのはがんセンターは病気を治す病院だから治らない患者はいられないと遠まわしに言われたこと。そんな訳でホスピスを探すことになりました。
一方のんべのバイパス手術は余命告知から4日後に行われましたが、がんがあまりにも腸のあたりに多く再発していたためバイパス手術は不可能となり人工肛門を作ることとなりました。そしてがんの部位をよけての人工肛門は小腸がわずか60センチ残るものとなりました。その結果のんべは最後まで点滴がないと栄養が取れない体になってしまいました。手術が終わり担当医から告げられたのは思いのほかがんが体中に広がっていること、そしておそらく余命は2週間からもって1ヵ月だということ。開いてみて状況の悪さが更にはっきりとしたのでした。
余命1ヶ月だという事はのんべにも告げ、私はまたホスピス探しに奔走しました。近くにはホスピスが4ヶ所。すべての病院に大至急と予約を入れましたが空きがなく、待機と言う状態に。待っている間にのんべがどうにかなってしまうのではという不安で毎日を過ごしました。
前向きだったのんべも人工肛門にしても食事があまり取れないことや痛みが治まらないことで眠ることも出来ず日に日にいらだちが増して行きました。そんなとき緩和ケアのチームがのんべを見てくれることとなりモルヒネの投与が始まりました。腸が短いのんべには服用する薬ではなく、皮下注射で常時モルヒネを入れる方法が取られました。注射器を入れた鞄を持ち歩けば外出も出来ると言う代物でした。その日からのんべは再び元気を取り戻したのでした。そして会社の会議にも出席したり(それも泊りの会議です)家に外泊したりと最期の日々を彼らしく過ごすことが出来ました。
そんな時近くのホスピスから空きが出たとの連絡が入りました。そして長らくお世話になったがんセンターに別れを告げ、ホスピスへと転院しました。がんセンターの看護婦さんたちがいつまでもいつまでも見送ってくれそれを見たのんべが「こんなことしてもらった患者さん見た事ないよ」と嬉しそうに語っていました。