死別シングル奮闘記

夫の死を乗り越えて2人の子供と頑張って生きる母の日記です

のんべのこと6 ホスピス探し

2006-11-07 23:49:05 | のんべ

のんべが余命宣告を受けてからは嵐のような日々でした。まずは食事が出来るように腫瘍が出来た部分をよけて腸のバイパスを作る手術を受けること。その間にもホスピスを探すこと。本当はがんセンターで最後まで治療を受けたかったのですが、がんセンターはホスピスとしての機能がないこと、家から遠いこと、そしてショックだったのはがんセンターは病気を治す病院だから治らない患者はいられないと遠まわしに言われたこと。そんな訳でホスピスを探すことになりました。

一方のんべのバイパス手術は余命告知から4日後に行われましたが、がんがあまりにも腸のあたりに多く再発していたためバイパス手術は不可能となり人工肛門を作ることとなりました。そしてがんの部位をよけての人工肛門は小腸がわずか60センチ残るものとなりました。その結果のんべは最後まで点滴がないと栄養が取れない体になってしまいました。手術が終わり担当医から告げられたのは思いのほかがんが体中に広がっていること、そしておそらく余命は2週間からもって1ヵ月だということ。開いてみて状況の悪さが更にはっきりとしたのでした。

余命1ヶ月だという事はのんべにも告げ、私はまたホスピス探しに奔走しました。近くにはホスピスが4ヶ所。すべての病院に大至急と予約を入れましたが空きがなく、待機と言う状態に。待っている間にのんべがどうにかなってしまうのではという不安で毎日を過ごしました。

前向きだったのんべも人工肛門にしても食事があまり取れないことや痛みが治まらないことで眠ることも出来ず日に日にいらだちが増して行きました。そんなとき緩和ケアのチームがのんべを見てくれることとなりモルヒネの投与が始まりました。腸が短いのんべには服用する薬ではなく、皮下注射で常時モルヒネを入れる方法が取られました。注射器を入れた鞄を持ち歩けば外出も出来ると言う代物でした。その日からのんべは再び元気を取り戻したのでした。そして会社の会議にも出席したり(それも泊りの会議です)家に外泊したりと最期の日々を彼らしく過ごすことが出来ました。

そんな時近くのホスピスから空きが出たとの連絡が入りました。そして長らくお世話になったがんセンターに別れを告げ、ホスピスへと転院しました。がんセンターの看護婦さんたちがいつまでもいつまでも見送ってくれそれを見たのんべが「こんなことしてもらった患者さん見た事ないよ」と嬉しそうに語っていました。


のんべのこと 5 余命宣告

2006-11-03 21:54:08 | のんべ

がんセンターに行ったのんべ。検査の結果腸閉塞を起していることが判明。即入院となりました。入院の用意を取りにいったん家へ。そこで息子が最近自転車の補助が取れたのでどうしても息子の自転車を見たいといいました。おそらくもうこれを逃すと見られなくなると思ったのでしょう。そんなのんべの気持ちなど息子に分かるはずなく、急に自転車に乗らなくてはならなくなり機嫌が悪くなってしまいました。そんな息子の様子の一つ一つを見逃すまいとのんべは真剣に見つめていました。少しだけ上手に自転車で走ることが出来た息子をのんべは褒めていました。

入院してからいろいろと検査があり、4日後くらいに家族が呼ばれました。普段はのんべが1人で再発も治療も医師と話し合っていたと言うのに今回は家族の方に来てもらいたいと言われました。そこでのんべと私に告げられたのは再々発。お腹のあちこちに癌が出来ていてもう手術は出来ないこと。余命はおそらくもって2ヶ月。8月の下旬に告げられたのですが年を越す事はおそらく出来ないであろうと。のんべは医師に一つ一つ可能性を尋ね、全てがダメであると分かった時に静かにその運命を受け止めました。泣きじゃくる私に「しょうがないよ」と言い、これからのことを考えようと言いました。本当に冷静に自分の余命宣告を受け止めたのでした。