死別シングル奮闘記

夫の死を乗り越えて2人の子供と頑張って生きる母の日記です

のんべのこと4

2006-10-30 21:41:30 | のんべ

とても久し振りの更新です。

のんべのことをまたまた書きます。再発のため手術をしたのんべ、2002年7月に無事に退院しました。その後の治療は抗がん剤はもう効果がないとのことで、経過観察ということになりました。しかし穏やかな日々はほんの数週間しか続きませんでした。7月20日の海の日に山下公園の花火を友達と見に行きましたがその時にはすでに体の異変を訴えたのんべ。取れたはずの痛みが再びおそってきました。それからは体調は悪くなる一方。病院に行って欲しいと願う家族に「病院に行ってなにをしてもらえるんだ!」と頑なに病院に行くことを拒絶していました。痛みがとれないまま、お盆に家族で那須へ旅行へ行きました。那須に行くこと自体不可能ではないかと思われるほどの痛みでしたが、本人のたっての希望で行くこととなりました。

主人の両親と妹夫婦、私達家族での旅行でしたが着くなり痛みで横になり、起きられない状態。そして夜には嘔吐し始めました。そんななか子供達のために南が丘牧場に行ったり、レストランに行ったり父親として頑張ってくれました。家に戻り、あまりの体調の悪さにのんべもあきらめ、旅行から戻った翌日にがんセンターに行くことに決めました。

辛かったけど楽しかった那須旅行。それがのんべの生涯最後の旅行となりました。


明日はドッチボール大会

2006-10-21 20:21:28 | こどもたち

今日はのんべのお話はお休み。

明日は息子の学童のドッチボール大会。子供達は毎日毎日学童でもドッチボールばっかりやっています。なめてかかるとこれまた大変。みんな真剣です。そしておもしろい。燃えます!本当に。子供の試合もおもしろいけど親の試合もこれまた真剣。去年は私も相手チームのキャプテンのような人にフェイント掛けられて当てられて悔しかったです。

去年のドッチボール大会の後にはマイドッチボールを購入しようと思うほど燃えていたのですが、買わないまま一年経ってしまいました。

うちの息子は運動音痴で逃げるので精一杯。お父さんに似ちゃったのかなぁ。今年も声がかれるほど応援しちゃうんだろうな、私も。


のんべのこと 3

2006-10-20 20:18:39 | のんべ

またまたのんべのお話です。

抗がん剤治療を8ヶ月続け、その後毎日通院で放射線治療を2ヶ月。全ての治療を終えたときには発病から1年が経過していました。治療を終えたときはこれであと5年再発しなければ大丈夫だ!と思い、やっと普通の生活を送れることを嬉しく思いました。

しかし治療を終えたわずか1ヵ月後には痛みを訴え始めました。病院では最近CTを撮ったばかりだから次の診察の時にCTをとりましょうとのんきなことを言われ。眠れないほどの痛みが毎日のように襲っていました。

そんななか家族4人で久し振りに出かけた温泉旅行。箱根強羅温泉に行きました。温泉に入り、強羅餃子センターの餃子を食べ、カラオケをやり、とても楽しかった。しかしのんべは痛みのためほとんど眠れなかったそうです。それが家族4人の最後の家族旅行になりました。

旅行から戻り病院で検査を受け、結果再発が分かりました。今回は腎臓を腫瘍が取り囲んでしまい、腎臓ごと腫瘍を摘出することになりました。ちょうど日韓ワールドカップの真っ最中。がんセンターでワールドカップを見ながら手術が終わるのを待っていました。今回は腎臓と共に、足の神経も大幅に取り、歩くことが困難になってしまいました。


のんべのこと 2

2006-10-19 20:50:14 | のんべ

今日ものんべの話の続きです。

手術で腫瘍を取り出したのんべだが腫瘍の大きさを考えると化学療法が必要だった。しかし地元の大きな病院では症例がなく、論文を見ながら私達への治療の説明が行われた。どうせ辛い治療を受けるのならば最新の治療をと国立がんセンターに転院して治療をすることにした。

のんべのお腹から取り出した腫瘍をよくよく調べてみると悪性度の高いものだった。のんべの病気の悪性繊維性組織球腫の高悪性度のものは5年生存率3割程度(その当時の統計によるものです)息子が小学生になるまでのんべは生きられるのか?私はとても不安に思いました。でものんべはそんな不安を感じさせることなく化学療法を始めました。全部で8クール、8ヶ月にも及ぶ化学療法でしたが、治療の時以外は会社に行き、仕事をこなし、友人と旅行に行き、家族とも温泉に行き。。。と病人とは思えないほど元気に暮らしていました。

しかし治療のため入院すると吐き気と倦怠感との戦い。のんべの目標の「吐くもんか」を守るべく吐き気と戦い続けました。治療が終わると病院でシャワーを浴びて会社に行くと言うまるで病人、それもがん患者とは思えない生活を送っていました。


のんべ(夫)のこと 1

2006-10-18 20:28:54 | のんべ

夫のんべは4年前に他界した。病名は悪性繊維性組織球腫。筋肉に出来る癌だった。かなり珍しいものらしく10万人に1.2人とも言われた。

腰痛を訴えてすぐ病院で検査。腰に腫瘍があることが分かり、大きな病院で検査を受けた。そして病名が分かった。すぐに手術をして腫瘍を摘出した。新生児の頭ほどもある大きな腫瘍だった。

のんべは大きな病気もしたこともなく、元気に暮らしていた。それなのにある日突然癌になった。それから1年半の闘病生活の後旅立ってしまった。

発病した時息子は3歳、娘は生後わずか3ヶ月だった。小さな子を抱え不安におびえる私をのんべが励ましてくれた。本当に強い人だった。泣き言一つも言わなかった。きっと苦しかっただろうしとても不安だっただろうに。