先日本を読んでいたらドッキとする内容に出くわした、この文章を読んで如何に受け取るか。
生きる目的は幸福だとパスカルも言う。自殺するのも楽を願っての事であり、すべての人の営みは、幸せの外にありえない。
だが、私たちの追い求める喜びはすぐ移り変わってゆく、苦しみや悲しみに変わり、崩壊し、無くなってしまう。結婚の喜びや、マイホームの満足はどれだけ続くだろう。妻はいつ病気や事故で倒れ,惚れた腫れたは当座のうち、破局の憂き目に遭うかも知れない。
柘植で出来たみろく苑の三重塔
夫を亡くして苦しむ妻、妻を亡くして悲しむ夫、子供に裏切られて激怒する親、最愛の人との離別や死別。世の中は悲しみや嘆きの声に満ち溢れている。生涯掛けて築いた家も、一夜の内に火事で燃えてしまい、昨日までの団欒の家庭も交通事故や災害で「まさか、こんな事になろうとは・・・・・」。天を仰いで茫然自失。辛い涙であふれているのが現実です。
菰野富士と散り初めの桜並木
揺れ動く川の流れの様に、今日あって明日なき幸福は、薄氷を踏む不安が付きまとう。病気になれば妻子が介抱してくれる。財産さえあれば、衣食住の心配は要らぬだろうと、日頃、あて力にしている妻子や財宝も、いざ死ぬ時には何一つ頼りになるものはない。一切の装飾ははぎ取られ、一人行く死出の旅路は丸裸、一体、どこへ私は行くのだろう。
現実を直視すると生きる望みが無くなる、しかし現実はこの通りです。形のある、目に見えている物だけを追い求めた人生はこの様になるのでしょうか。この答えは如何に。
当然ですが上の写真と文章とは関係ありません。又この文章は蓮如上人の御文章の一部です。
最近の天狗さんのブログは難しいぞょ、ハッハッハァ