月曜は時間がない。。。ので簡単に。
今日長岡の練習に出ていて、
自分の指揮者としてのパーソナリティーを
考えてしまいました。
簡単に言うと、自分には熱さが足りないな。。。と。
振った数が少ないと言えばそれまでですが、
自分らしい練習のつけ方というのは、どういうものだろう、と、
学生の時から考えています。
大学3年、指揮者初年度の時、
定演のすぐ前の練習後、団のある同級生に、
「○○○君は何がしたいの?どうしたいの?」
と言われました。
その後の二人の会話の中で、
「僕はこうしたいんだ」ということをその人に伝えました。
すると、
「じゃあそう言えばいいじゃない。何でカッコつけてるの?」
という内容のことを言われました。
もう一つ言われたのは、
「○○さんの方がまだずっと分かりやすい。
○○○君とそこが違うんだよ」
因みに、○○さんというのは、
先輩指揮者こっちさんのことです(すみません、勝手に名前出して)。
その人は、僕に足りない部分を、
こっちさんを引き合いに出して、
”かなり”的確に僕に言いました。
確かに、その当時、僕は、団員の前に立ったとき、
「スマートに」振舞いたいと思っていた節があります。
普段も色々な人によく言われたのですが、
僕がまわりくどいので、結局何が言いたいのかが分からない、と。
確かに、昔の僕は、
「これだけ色々なことを言うので、
その中から言いたいことを考えてね」的な言い回しをしていたと思います。
結局、今となっても、色々な合唱団の人に、
「もっと自信持って」
「好きにやればいいんだよ」
と言われ続ける始末(苦笑)。成長していない証拠です。
そう考えると、僕は、合唱団員の歌い手としての方が、
自分を表現できている気はします。
あくまで「歌い手として」演奏に口を挟んだり、聴いたり
指示をしたほうが、自分が生きているような気もします。
でもそれって、自分を表現できていると言うより、
指揮者としての自分の存在意義を自ら消去しているとも言えるかも(爆)。
と今書きながら思いました。
これについては、また書きます。
僕の性格というか、そんなことも絡めて。