佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

合唱団の練習でのこと

2006年05月26日 22時58分23秒 | 合唱

 

 日曜日は、新潟ユースの練習の後、

所属合唱団の練習でした。

 

 

 実は、6月11日、朱鷺メッセで催し物があり、

指揮者の先生がいらっしゃれないので、僕が振ることになったのです。

時間にして20分くらい。

その合わせをしました。

 

 

 実を言うと、勉強不足でした。。。

 

 

 最近、とみに思うのです。

音楽にだけ集中して人生送れたらどんなに幸せかと。

今の配分で言うと、

時間的には仕事が7割、プライベートが3割。

3割のうち音楽にかけるのが半分として、

そのうちの8、9割は音楽の事務仕事

(アジアユース、新潟ユースの準備や広報など)、

残りの1、2割がプレイヤーとして音楽に関わる時間、

何割ってたくさん書いたので分からないかもしれませんが、

それだけ、指揮者や歌い手として音楽に関われる時間が

少ない現状があるってことです。

 

 

 これは、自分としては、由々しき現状です。

本来の仕事の時間が、音楽の事務仕事であれば、

残りの3割を全てプレイヤーとしての向上に当てられるのですが、

3割のうちの半分のうちの1,2割です、現状は。

 

 

 指揮を振っているとき、

僕は、テンポの設定が自分でうまくできず、

しきりに

「○○先生はこれくらいのテンポでしたかね?」

と歌い手に聞いていました。

練習後、とある団員の方に、

「指揮者が違えばテンポが違うのは当たり前なのだから、

いちいち聞かないでいいんだよ、聞いている時間が勿体ない、

俺に合わせろ、くらいのつもりで振らないと」

という内容のことを言われました。

 

 

 ごもっともです。。。

これは、単純に僕の勉強不足です。

テンポ設定に自信が持てなかったので、

しきりに指揮者の先生のテンポを聞くことで、

適正なテンポを探ろうとした、わけです。

これじゃいかんな。。。と痛切に反省しました。

といっても、音楽の事務量は減りません。。。

どうしよう、といった感じです。

 

 

 もう一つ理由があって、

僕に、下振り根性が染み付いているからだと思います。

 

 

 僕、これまで、自分の合唱団を持ったことがありません。

つまり、選曲したことがほとんどないのです。

選曲といえば、

大学3年の時の新歓で2曲(小さな空、シャンパン)、

その年の定期演奏会での4曲(小さな空含む武満4曲)、

4年の時の新歓は覚えていない。。。

4年の時に僕が声をかけて集めた

アンサンブル・クレアという幻の団体での選曲

(木下牧子のNコン「めばえ」と松下耕の「Ave Maria」、

因みに新発田の合唱祭へ出ました)、

あと4年定期の曲2曲(後藤丹「気球の上る日」より2曲)、

その時の新実さんの「花に寄せて」から2曲くらいも選んだか。。。

 

 でも、たったこれだけです。

実を言うと指揮者のキャリアは相当浅いです。

おまけに、学生時代は自分より先生の曲が優先。

そこから8年が経って、

今は所属合唱団二つで振ってますが、

いずれも下振り。先生の決めた曲を、仕上げるために振る、

僕のキャリアはずっとそれが続いています。

 

 

 だから、「先生の指示はどうだった」とか、

非常に気にしながら振るわけです。

完全に下振り稼業が染み付いているわけです。

 

 

 でも、もっと勉強して、

しっかり自立しないといけませんね。。。

選曲できなくても、

しっかりやるべきことをしないと。

上記の様に、歌い手は、指揮者に対して

リーダーシップを求めます。

これは、どういう風に音楽作りをする指揮者かという事とは

別の次元です。

単にぐいぐい引っ張って振っていくのが良い、

そういうことではありません。

 

 そういうことなので、指揮者が不安であってはいけないのです。

勉強しないといけないのです。

事務量が多いといって、本来の仕事辞めるわけにはいきませんし

(でも辞めてもやっていけるくらいの勉強をしておかないといけません。

指揮で食えるくらいの実力をつけないといけません。

仕事の傍ら、というのは言い訳に過ぎないので。。。)、

今やれることをちゃんとしないと、、、

そう、思った、練習でした。