月曜日の話。
先週ここに書いた、長岡での合唱団、
「讃歌」の第2回練習があった。
ちなみに、この合唱団、
「長岡フェニックス合唱団」と名づけられた。
勿論、震災からの復興の願いを込めてである。
毎週月曜日の練習。
あまり無いケースだが、
かえって参加しやすいのでは。
仕事以外の他の催しとはあまりかぶらないし。
この日は、船橋先生がいらっしゃらない時の
トレーナー山本義人先生と、小澤和也先生が
いらっしゃった。
この日の練習は、小澤先生が進めつつ、
別室で山本先生が、全員の声を診て、
パート分けをするという手筈。
ビビる。
パート分け。。。
僕は、中学校の時一時期テノールだったが、
以後バリトン。
しかし、無理に分けるとハイバリトン。
「テノールにされたらどうしよう」(マジビビり)
僕のことを知っている人は分かると思うけど、
僕の地声、意外と高いです。
ただ、僕は高い地声が好きではなく、
「Gacktです。。。」
みたいに、低い声で話したいのだが、
元の声が低くないので、
結果ボソボソと話しているようになってしまう。
よく聞き返される。すいませんね~皆さん。。。
しかし、低くないのだが、高くもない。
青島広志の言うバリトン「上も下も出ない人」です。
でも声質だけ聴いて、テノールに分けられたら
高音出ないし(まあ、異議は受け付けてくれると
言っていたけど)。どうしようか。
全員で発声から。
皆声が鳴る。うらやましい。
だから、必ずテーマを持って臨むようにしようと思う。
この日は、とにかく自分の発声を崩さないこと。
簡単に言うと、声を当てるポイントと、支え。
喉を消耗しないように。
というか、いい発声なら消耗などしない。
とにかく、声の張り合いだけは絶対しない。
続いて、小澤先生の練習。
結構テンポアップで進んでいく。
ノルマがあったらしく、
初心者には多分きついペース。
しかし、一度最後まで行ってからまた戻る、の
繰り返しでいくとのこと。
ドイツ語の読み、簡単な音取り(一度ピアノで弾く)の後、
すぐに歌っていく感じ。
実は今回、音源を当分購入しないでいこうと
考えている。
社会人になってから、ちょっとCDに頼っているが、
楽譜や練習の音から、世界を広げようと。
他パートの練習の時は、それを聴いたり、
自分のパートを小声で歌ったり。
色々な発見がある。簡単な曲の構成も分かる。
僕は、指揮者だけでなく、
歌い手も、曲の構成をある程度理解して歌うべきだと
思っている。それによって、どこで何をするかが
より明確になると考える。例えば、
「ここでソプがきてテノール、
そしてアルトとベースが同時に」などなど。
つまり、他パートを意識すること。
それによって、それの影響を受けて、
自分のパートを歌う(つまりアンサンブル)。
だから、音取りだろうと、練習がつまらないなんて事は
絶対にない(断言)。
います。たまに。
第九とかメサイアとか、暗譜している人。
暗譜はいいけど、最初っから楽譜持たない人とか。
あなたはどこまで理解しているのですか?
貴方はそんなに優れた音楽家ですか?
あなたはベートーヴェンやヘンデルより優れてますか?
音楽の前では、謙虚でありたいものだ。
一度として同じ音は鳴らない。
つまり、常に新たな発見があるのだ。
こんなに楽しいことがあるだろうか。
だから練習は楽しいのだ。
自分でいくらでも探せるはず。
移ろいゆく音に耳を澄まそう、みんな。(アピール)
今回は、みなほぼ同じスタート。
だからいいかも。皆真剣。
さて、声を診てもらう番が。
別室に行く。
6、7人で入る。
ピアノを囲んで扇型に。
最初は全員で。
そして、左から3人ずつ。
声を聴いてパートが決まっていく。
長岡市民の人は初めてではないので、
慣れた様子。
「3人で聴いて分かるのかな?」素朴な疑問。
僕が真ん中で3人。僕だけちょっと若い。
声を出す。上の方へ。
五線をちょっと出たところの声を聴いて、
「君絶対バリトン。五線の上の音の伸びが素晴らしい」
いやー、自分で書いてて恥ずかしいけど、
こんなような事を言われた。
褒められたのは差し引いても、
言われたことに納得する。
ちょっと聴いただけで的確に判断され、
さすがプロは違うなと感じる(手の平返す)。
疑いの眼差しを反省。
パートも決まり、再び練習へ。
隣の人、よく声が鳴る。
でも地の声が強い人に多いのは、
発声のポイントが前め。
強い声の人はそれでも壊れない。いい声出せる。
だからそれはそれで良いと思う。ただ、
僕がそれにお付き合いするとヤバい。
僕は持ち声が貧相だし(謙遜ではない)、
鳴らない、響かない声だ。
でも、Large VoiceでなくGood Voiceを
出すようにはしてきたし、これからもそうしようと。
勝てないところで張り合ってコンプレックスを
感じるのは、昔のことにしたいし。
そうして、自分の声を確認しながら歌う。
僕の歌い手としてのスタンスだが、
既存の合唱団の在り方を尊重したいと思っている。
今回で言うなら、長岡市民の在り方。
特に今回は、自分が既存のところに参加する形。
長年培ってきた声から運営方法まで全てのあり方を
尊重したい。それこそが合唱団の特性、個性だし。
僕のものさしだけで判断する気はない。
どんな合唱団でもそうだが、
良くも悪くもいろいろな点が特徴となる。
音に関しては、指揮者が今鳴ってる音を
望んでいるのだし。自分がとやかく言うところでない。
いろいろな価値観があって、いろいろな個性となる。
そうして色々な合唱団が存在する。全てに意味がある。
今考えるのは、ここで、自分がどう関われるか。
課題を持って取り組んでいきたい。
思ったよりも、楽しく進んで行けそうだ。
そんな手ごたえを感じた第2回だった。