韓国で「慰安婦」といえば、1990年までは「日本軍慰安婦」ではなく、いまでは韓国社会がタブーとしている「米軍慰安婦」のことだった。
しかし、今となっては慰安婦問題を解決できなければ、日韓関係は永遠に平行線のまま距離が縮むことはありえない、と思われるほど重要な問題に問題になってしまった。
両国の間に過去に存在しなかった大きな「壁」がこの時期に出来たのである。
韓国の3大新聞の一つである東亜日報の記事で「慰安婦」という単語がどのような状況で使われたかをデータベース検索を通して調べた結果を見てみよう。
これを見ると不自然な現象を発見できる。
年度 | 日本軍慰安婦関連記事数 | 米軍・国連軍慰安婦関係記事数 |
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1951-55 | 1件 | 17件 |
1956-60 | 0件 | 36件 |
1961-65 | 0件 | 56件 |
1966-70 | 1件 | 118件 |
1971-75 | 5件 | 39件 |
1976-80 | 0件 | 20件 |
1981-85 | 4件 | 9件 |
1986-90 | 5件 | 8件 |
1991-95 | 616件 | 3件 |
終戦から1990年代までの40年間、「日本軍慰安婦」と関連する記事は20件以下だが、1991年から1995年までの5年間は、616件に爆発的に増加する。
一方、戦後40年間「米軍」を相手にする売春婦を意味した「米軍慰安婦」と関連する記事は急激に減少し、現在はほぼ使われなくなったのだ。
つまり、韓国社会は終戦後40年近く、「日本軍慰安婦」問題についてはほとんど批判も言及もしてこなかった。
この空白の40年間、韓国で「慰安婦」という言葉が示す対象は主として米軍慰安婦、UN慰安婦であった。
とこらが1980年代、「日本軍慰安婦」が国際的な話題に浮上すると米軍慰安婦の存在は紙面から姿を消してしまう。
この変化を自然な流れと言えるのだろうか。
逆に反日感情が強かった戦後から1970年代までの「日本軍慰安婦」が問題視されてこなかったことに理由があるのだろうか?
ところで、この新しい問題提起は韓国内で起きたのではなく日本からの「逆輸入」によるものであった。
そのキッカケとなったのは吉田清治の『私の戦争犯罪ー朝鮮人強制連行』(1983年)という本である。
吉田清治は日本共産党出身で、この本は1989年韓国で出版され「良識ある日本人の告発本」と評価されたが、まだ社会的な反響は大きくなかった。
しかし、人権派?の朝日新聞などによって1992年突然センセーションを起こし韓国内で一躍ベストセラーとなった。
朝日新聞も最近なってやっと誤報だと認めたが、一度広まってしまった「伝説」がそれ以降の韓国社会の対日感情を支配するという、恐ろしい結果を招いている。